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Cover Illustration: ©Shishi YamazakiCharacter Illustration: ©DAISUKE KONDO

第四夜
#フェミニズム#社会問題#人間関係#拝金主義#大量消費社会#シスターフッド
小説2026/09/03

マリカとカリナと足りない在処

第四夜

児玉雨子

4

ファタールではタブレット注文で管理していたが、ユナーシュではキャバ嬢が直接黒服を呼ぶのだと教わる。つまり、黒服とうまく連携を取らないと売上を伸ばしづらいのだろう、ここは店の女の子たちと黒服たちの距離が近い。ファタールにいたころはマネージャークラスの黒服ならまだしも新人の黒服の名前なんて覚えなかったし、誰かを呼ぶときは「おい」だったり、そのまま「黒服」とか「誰か」と呼んだりしていたから、ユナーシュでキャバ嬢が休憩中に付け回しの黒服と気さくに話しているのが異様に思えた。

方針の違いはそれだけでなく、シャンパングラスに氷を入れることが許されていた。氷を入れることに客の賛否はあるけれど、場内やドレスを吐瀉物で汚すくらいならこのほうがマシという考えらしい。ファタールでは氷禁止でどんどん飲め飲めですぐに潰れて、むしろ吐き戻してからが本番、みたいな空気すら漂っていて、歌舞伎町のマリカも今までそれを疑ったことさえなかった。

「カリナちゃん、ヘアメはしてきたんすか?」

ロッカールームで持参してきた黒いミニ丈ドレスに脚を通していると、着替え中でもかまわず北新地のマリカがドアを開けて入ってきた。カリナは急いで脇のファスナーを締め上げる。こちらに越してきてから激安通販で買ったものだ。伸ばしきれていない腹のあたりの深い畳みジワを、歌舞伎町時代に私物として使っていたヴァレンティノのポシェットで隠した。

「自分で軽く毛先巻いてきたんだけど——巻いてきたんですけど、野暮ったいですか?」

「あ、ぜんぜん、ぜんぜんタメ口でいいすよ。わたしどちらかというと後輩力が強いみたいで、敬語使われるほうがむずむずしちゃうんで。髪型、お店の雰囲気にも合ってるっす。このあたりのお店ってギャルやかわいい系より美人系の子のほうが受けがいいし」

カリナはマリカを睨みそうになり、視線を伏せる。お人形系のヘアメイクやファッションに体育会系の口調。どこをどうとっても三ヶ月前まで歌舞伎町にいたマリカ——自分そのものであった。彼女の幼い雰囲気と相対すると、自然と口から出る言葉が投げやりに解ほどけてしまう。

「じゃあ、タメ口にする」

ようすを窺うようにカリナが北新地のマリカを見上げて言うと「いいっすね。カリナちゃんって綺麗で迫力あるから、タメ口のほうが親しみやすいかも。てか、靴もかわいいっすね、ジミーチュウとか?」

「あ、これ」カリナはジミーチュウの靴を一歩前に出した。「足首固定されるから、すっぽ抜けなくて」スワロフスキーのアンクルチェーンを外して靴を脱いで見せると、ソールのロゴ部分に灰色に濁った足ツボゲルインソールが剝がれ落ち、マリカの足元に落ちた。すみません、としゃがみ込んでリノリウムの床からそれを剝がしていると、いやいやいや大丈夫なんで、と北新地のマリカはかろやかに笑った。

「わたしも、この前すっげえ金持ちの卓着いたときに、超張り切って、バカほど胸盛って盛って盛りすぎて、客の前で屈んだらシャンパングラスの上にヌーブラボトボトボトッて落としちゃって、酒も乳もぜんぶこぼしたんで、それに比べたらぜんぜん余裕すね」

「あ、マ、リカさん、て」かつての自分の名前を呼ぶ。ちゃんと口の動きがすべらかなのか不安だったけれど、このぎこちなさを言葉で押し通した。「大阪弁じゃ、ない」

「あ、わたし、出身このあたりじゃないんすよ。関東。千葉っす」

北新地のマリカは笑いながら、自分のロッカーから硬水のペットボトルとウコンドリンクを二本出してブルーグラシエのピコタンに突っ込み、まずはウコンドリンクのほうから軽くのけぞって一気に飲んでしまう。酒じゃないものでも、つい液体物をすぐに一気してしまう癖まで共通していて、心臓がぐっと固まる感覚がした。

「都内で働いたことは?」

「夜は、ないっすね。大学行ってたんすけど、中退して都内の美容の専門出て、すぐ北新地来たんで。なんか自分のまったく知らない世界のほうがいいかなって。関東のひとって都内に対してそんなに思い入れなくないですか? とおきょお、どーん、みたいなイメージ、正直なくて」

「わかんなくもないけど・・・・・・でもわたし、夜の歌舞伎や六本木にはじめて行ったときは、わー、って思ったかもっす」

マリカだった頃の後輩口調が漏れ出て、カリナは我に返って今のマリカに対し「思ったかも」と言い直す。なぜ言い直す? カリナは自問してみるけれど、自分に対して何ひとつ答えられずに問いっぱなしで、立ち尽くした。

二本分のウコンドリンクを一気に飲み干し、特段カリナに反応することなく、マリカはアンパンマンの刺繍がされた生成り色のガーゼタオルで、濡れた口の端を軽く拭き取った。

ロッカールームから狭い廊下に出て、マリカは「藤田くーん」と声を上げると、キッチンのほうから黒服が小走りでやってきた。マリカは空いたウコンドリンク缶を藤田に手渡し、ついでにカリナ用の空から名刺を数十枚持ってくるよう、手際よく彼に指示を出した。

か細い腕に提げたピコタンから取り出したリップグロスを塗りながら、こちらを振り返って「ねえ、カリナちゃんも関東からっすよね?」と、微細に偏光するくちびるで微笑んだ。

「同じ関東人としてアドバイスさせてもらいますけど、みんなに馴染もうとして似非えせ関西弁で話さないほうがいっすよ」

「え? なんか、その方が心が近づいてる感じするのに」

「下手にやるとかえって機嫌悪くなるんで。ここに来る客だけじゃなくて、みんなそう」

「でも、まあ、たぶん真似しようと思ってもできないと思う。大阪来たことあるのほんと片手で数えられるくらいで、馴染みないから」

「や、そういう話じゃなくてですね」マリカは前のめりになって、カリナの冷たい手を取る。長めのスクエアで整えた白とピンクのシンプルなフレンチネイルまで、かつての自分にそっくりだった。「関西弁がどうこうじゃなくて、自分が周りとちがう言葉で話してるってだけで、何かすごく、ぽつーんって感じ、さみしくなってくるんすよ。ここはなんでも楽しいし、近くのお店もおいしいとこいっぱいあるし、純社長もあんなかんじでコッテコテであったかくて、周りの話に素直に付き合っていると、つい弾みでこっちも似非関西弁になりそうになるけど、ぜったい、ぜったいだめ。超然としていないと、だめっすから」

「超然?」

「こう、なんていえばいいんすかね、どんだけ波がザパザパきても、崖みたいにちゃんと立っていなくちゃっていうか」

かつての自分と同じ顔と名前の人間が自分の知らない言葉を話すから、ようやく、目の前の相手は自分ではない別人なのだと思えて、急に緊張が解けてきた。カリナは崖を見たことがない。マリカのときも、マリカになる前からも、地元の川や港や砂浜にはたくさん行った。だけど切り立った崖から足元の荒波を覗いたことはない。このマリカは、どうしてその有様を知っているのだろう。でも、わたしだったマリカではない。崖を知っているマリカだ。それでは、わたしは? わたしは、崖も知らないまま、きっと川で足を滑らせてそのまま死んだ、もうマリカではない、カリナと名付けられた、何か。

カリナにぼんやりと見つめられたマリカはその視線を取り払うように、とにかく、と言い直す。

「そのままでいるのってすごくむずかしいっていうか。みんな、よそ者だから愛してくれてるってこと、忘れちゃだめっすよ。それしかないんだから、わたしたちっぽさって」

(つづく)

あなたの考えを共有し、他の人の考えに耳を傾けてみましょう。

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