
連載
(1)爆心地のエプロン8つのポケット
小林エリカ
朝、目が醒めて鏡を見ると、やっぱり私の頭の右側の髪はごっそり抜けていた。耳の後ろから頭頂までが、半分すっかり禿げあがっている。 私の長い髪が抜け始めたのは、冬のことだった。なんとなしに身体がだるい。起きあがるのが辛いことも多かったから、更年期かも知れないと考えた。しかし、あまりにも髪がごっそりと抜け落ちるようになったから、さすがに不安になった。病院を幾つも回っても、原因は不明。すっかり困り果て、禿

場所:広島安佐南区家の庭
時:2006年夏

あなたは広島へやってきてはじめて、かつてテレビで観た映画『となりのトトロ』の中の雑草が全部本当にある草なのだということを知る。それがあなたにとっての広島だった。
ムラサキツユクサ。ドクダミ。シロツメクサ。オオバコ。スギナ。外来種のポピー。それから、外来種のタンポポ。
あなたは大阪西成区のアスファルトしかない場所で育ったから、学校や公園なんかでしか雑草などというものを見たことがなかったし、ましてや雑草を抜いたりしたこともなかった。
あなたの両親はどちらも韓国人で、あなたは在日3世。あなたは、在日のコミュニティーの中で生きてきたから、在日であることを気にせずふつうに生きてきた。戦争中のことだって、あなたは、それは誰のせいでもないと思っていた。
あなたはやがて広島の人と結婚することになり、庭つきの家に住むことになった。
あなたはそこではじめて、小花柄の園芸グローブをはめ、ジーンズに紫の長靴を履き、首の後ろまで隠れる帽子をかぶり、庭へ出て、雑草を抜いた。
あなたは雑草を、その草の名前を、ひとつひとつはじめて知る。
あなたが入籍するために広島の区役所へ行ったとき、受付の人が書類を受け取ってくれなかった。
主人のお母さんと行ったから、怪しがられたのかもしれない。韓国から取り寄せた長い戸籍も、西成区役所に届けた出生届もあったのに、それを受け取ってもらえなかった。
あなたは、はじめてそういう経験をして、泣いてしまう。
するとお偉いさんが出てきてころっと態度が変わったのだった。
あそこは朝鮮人が多いからね、というようなことをカジュアルに話す人も多かった。
あなたは、あなたが在日だと知れたら怖いことになるんじゃないかと不安になる。
子どもが生まれ、あなたは子どもたちにも、そういうことがあるかもしれないと話している。
あなたは、帰化しないといけないのかな、と考えはじめる。けれど、帰化しても、帰化人といわれるだろう。それに、帰化するためには、あなたの戸籍だとかを全部翻訳したものが必要だといわれているし、あなたは十代の頃一度だけ警察にもやっかいになっている。ひとつ潰せばその不安はなくなるだろうけれど、またつぎがきて、生きている限り、それがつぎつぎ続くことになるだろう。
あなたの父親は韓国語をもう喋れるか喋れないかというくらいだし、あなたは韓国語を喋れない。あなたの名前は日本名だ。
あなたは、酷い差別にあった人にくらべたら、ぬくぬく生きていると思う、という。
けれど、ここへきて、被爆の話と、在日の話は、似ているな、全部、繫がっている、戦争なんだなって、知った。
主人のお父さんは主人が小学生の頃に離婚して、精神病院に入っていた。彼のお母さんは、結婚相手が南方へ通訳かなにかで行って死んだ後、彼だけ残して広島の人と再婚、ひとり残された彼は心が弱ってしまったみたい。
戦争で人生狂ってる。戦争の被害は、みんなおなじ。
あなたは、現代アートが好きだったから広島市現代美術館を、度々訪れるようになる。そこで展覧会をしていたインドネシアのアーティストが言っていた。
あなたという存在が、過去に起きたことの証明になっているということがある、というようなこと。
けれど、あなたは、子どもにも申し訳ないなって思ったりする、という。
次に戦争になったときに。
あなたは、そういうのがどんどんでてくるなかで自分の存在がどーんと感じられてねと、涙がこぼれるのをとめられない。
◯
2025年8月5日の広島市現代美術館モカモカにて
たまたま通りがかりに話を聞かせてくれた
協力
広島市現代美術館、カフェKAZE、アートバス〈爆心へ〉、加納実紀代資料室サゴリ
参考
広島市現代美術館「ティンティン・ウリア:共通するものごと」(2024年9月21日―2025年1月5日)
民族的なマイノリティである中国系バリ人である自身の出自と1965-66年に起こったインドネシア大虐殺のときに行方不明となった祖父の存在をうけ、芸術的実践と研究をおこなうアーティスト、ティンティン・ウリアの展示。
(つづく)

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(1)爆心地のエプロン8つのポケット
小林エリカ
朝、目が醒めて鏡を見ると、やっぱり私の頭の右側の髪はごっそり抜けていた。耳の後ろから頭頂までが、半分すっかり禿げあがっている。 私の長い髪が抜け始めたのは、冬のことだった。なんとなしに身体がだるい。起きあがるのが辛いことも多かったから、更年期かも知れないと考えた。しかし、あまりにも髪がごっそりと抜け落ちるようになったから、さすがに不安になった。病院を幾つも回っても、原因は不明。すっかり困り果て、禿

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(2)音のない肉体
小林エリカ
スケッチ1 ワンピースの白い生地はそのまま残り、小花模様の色濃い部分だけがみんな焼け焦げ抜け落ちていた。原子爆弾が炸裂したとき、そのワンピースを着ていた少女の肌は、模様の部分だけ焼けたという。 私は、そのワンピースが展示されているのを、あるいは写真で見たのだったかもしれない。光は白に反射し、黒に吸われる。原子爆弾の光線もおなじだということを、私はそのときはじめて理解した。 ワンピースの袖の下、

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(3)スケッチ1
小林エリカ
スケッチ1 ワンピースの白い生地はそのまま残り、小花模様の色濃い部分だけがみんな焼け焦げ抜け落ちていた。原子爆弾が炸裂したとき、そのワンピースを着ていた少女の肌は、模様の部分だけ焼けたという。 私は、そのワンピースが展示されているのを、あるいは写真で見たのだったかもしれない。光は白に反射し、黒に吸われる。原子爆弾の光線もおなじだということを、私はそのときはじめて理解した。 ワンピースの袖の下、

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(4)SEAGULL/かもめ
小林エリカ
西浩孝さん 場所:爆心地公園とその向かいのラブホテル「SEAGULL」 時:2017年春 あなたは長崎へやってきたばかりで、職のない状態で、一歳の子どもを抱いて桜の花が咲くか咲かないかの頃の爆心地公園にいて、向かいにあるラブホテル「SEAGULL」を見ていた。 ピンク色の建物に、波模様を配した大きな看板。建物の駐車場入り口には、のれんのようなゴム製の目隠しがぶら下がっている。 年配の男とおそらくデ

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(6)カステラの重さについて
小林エリカ
裕紀子 場所:名古屋の祖父の家 日時:1985年夏 あなたは、長崎の爆心地公園で、あなたの祖母のことを、話してくれた。 実は母方の祖母が長崎の出身なんだ。祖父の後妻さんだから血の繫がりはないのだけれど。 あなたの祖母は名古屋へ嫁いでいて、あなたは彼女と一緒に長崎へ行ったこともなかったから、あなたは長崎のことを何も知らない、という。 ただ知っているのは、彼女のソウルフードがカステラだということ。 泊