
連載
(1)爆心地のエプロン8つのポケット
小林エリカ
朝、目が醒めて鏡を見ると、やっぱり私の頭の右側の髪はごっそり抜けていた。耳の後ろから頭頂までが、半分すっかり禿げあがっている。 私の長い髪が抜け始めたのは、冬のことだった。なんとなしに身体がだるい。起きあがるのが辛いことも多かったから、更年期かも知れないと考えた。しかし、あまりにも髪がごっそりと抜け落ちるようになったから、さすがに不安になった。病院を幾つも回っても、原因は不明。すっかり困り果て、禿

場所:爆心地公園とその向かいのラブホテル「SEAGULL」
時:2017年春
あなたは長崎へやってきたばかりで、職のない状態で、一歳の子どもを抱いて桜の花が咲くか咲かないかの頃の爆心地公園にいて、向かいにあるラブホテル「SEAGULL」を見ていた。
ピンク色の建物に、波模様を配した大きな看板。建物の駐車場入り口には、のれんのようなゴム製の目隠しがぶら下がっている。
年配の男とおそらくデリヘルで働いているとおぼしき若い女が出てきて、ラブホテルのすぐ前には送迎のトヨタの車が待機している。
あなたは「爆心地のラブホテル」というもののインパクトと、それが愛なのか金なのかはわからないが、セックスという生の行為と、おそらく絶対その下に埋まっているだろう白骨、およそ人間らしくなく殺された人たちがいるという死のコントラストに、衝撃を受けたのだった。
あなたの地元は富山で、長崎には何の縁もゆかりもなかった。
あなたは、東京で働いていたのだが、妻が長崎で仕事を得ることになったため、あなたは仕事を辞め、妻と半年前に生まれたばかりの子どもと一緒に長崎へ来た。
はじめ、あなたは、長崎の新聞やテレビが、ほぼ毎日、原爆や平和のことを報道していることに、驚く。
はじめ、あなたは、浦上駅のすぐそばに「長崎原爆病院」という名前の病院があることに、驚く。
あなたは、何度か長崎の街の人が、原爆は「長崎に落ちたんじゃなかよ、浦上に落ちたんよ」というのを聞いて、驚く。あなたは、その人たちが、あの人たちの場所と、自分たちの場所とを、区別することを、知る。
それから、あなたは、みんなが長崎、というとき、長崎の街だけをさすことを、そこには佐世保だとか、他の長崎の街々が含まれていないことを、知る。
長崎で暮らしはじめてから、およそ九年。
あなたは、あなたがいまだよそものだと感じる。
ぼくはなじんでないっていうか。どうしても外の目で長崎を見てしまう。爆心地公園なんかは、もう慣れてすどおりしてしまうんですけどね。
あなたは、デリヘルで働く女の子とも知り合い、話を聞いた。
彼女がラブホテル「SEAGULL」へ行くかどうかは知らないが、仕事で一日に何度も洋服を脱ぎ着しなければならないから基本的にはダボッとしたワンピースやパーカーを着るのだということを、教えてくれた。
あなたは、しばしば原爆資料館のカフェへ通っており、その際には必ず、爆心地公園を通る。原子爆弾落下中心地碑の木々の向こうに、ラブホテル「SEAGULL」の看板が覗いて見える。
あなたは、白骨の上を歩く、あなたは、生きている。
◯
2025年8月8日の長崎県美術館カフェにて
協力
長崎県美術館、アートバス〈爆心へ〉号
(つづく)

連載
(1)爆心地のエプロン8つのポケット
小林エリカ
朝、目が醒めて鏡を見ると、やっぱり私の頭の右側の髪はごっそり抜けていた。耳の後ろから頭頂までが、半分すっかり禿げあがっている。 私の長い髪が抜け始めたのは、冬のことだった。なんとなしに身体がだるい。起きあがるのが辛いことも多かったから、更年期かも知れないと考えた。しかし、あまりにも髪がごっそりと抜け落ちるようになったから、さすがに不安になった。病院を幾つも回っても、原因は不明。すっかり困り果て、禿

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(2)音のない肉体
小林エリカ
スケッチ1 ワンピースの白い生地はそのまま残り、小花模様の色濃い部分だけがみんな焼け焦げ抜け落ちていた。原子爆弾が炸裂したとき、そのワンピースを着ていた少女の肌は、模様の部分だけ焼けたという。 私は、そのワンピースが展示されているのを、あるいは写真で見たのだったかもしれない。光は白に反射し、黒に吸われる。原子爆弾の光線もおなじだということを、私はそのときはじめて理解した。 ワンピースの袖の下、

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(3)スケッチ1
小林エリカ
スケッチ1 ワンピースの白い生地はそのまま残り、小花模様の色濃い部分だけがみんな焼け焦げ抜け落ちていた。原子爆弾が炸裂したとき、そのワンピースを着ていた少女の肌は、模様の部分だけ焼けたという。 私は、そのワンピースが展示されているのを、あるいは写真で見たのだったかもしれない。光は白に反射し、黒に吸われる。原子爆弾の光線もおなじだということを、私はそのときはじめて理解した。 ワンピースの袖の下、

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(5)トトロの庭
小林エリカ
直実さん 場所:広島安佐南区家の庭 時:2006年夏 あなたは広島へやってきてはじめて、かつてテレビで観た映画『となりのトトロ』の中の雑草が全部本当にある草なのだということを知る。それがあなたにとっての広島だった。 ムラサキツユクサ。ドクダミ。シロツメクサ。オオバコ。スギナ。外来種のポピー。それから、外来種のタンポポ。 あなたは大阪西成区のアスファルトしかない場所で育ったから、学校や公園なんかでし

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(6)カステラの重さについて
小林エリカ
裕紀子 場所:名古屋の祖父の家 日時:1985年夏 あなたは、長崎の爆心地公園で、あなたの祖母のことを、話してくれた。 実は母方の祖母が長崎の出身なんだ。祖父の後妻さんだから血の繫がりはないのだけれど。 あなたの祖母は名古屋へ嫁いでいて、あなたは彼女と一緒に長崎へ行ったこともなかったから、あなたは長崎のことを何も知らない、という。 ただ知っているのは、彼女のソウルフードがカステラだということ。 泊