(3)スケッチ1

スケッチ1

ワンピースの白い生地はそのまま残り、小花模様の色濃い部分だけがみんな焼け焦げ抜け落ちていた。原子爆弾が炸裂したとき、そのワンピースを着ていた少女の肌は、模様の部分だけ焼けたという。

私は、そのワンピースが展示されているのを、あるいは写真で見たのだったかもしれない。光は白に反射し、黒に吸われる。原子爆弾の光線もおなじだということを、私はそのときはじめて理解した。

ワンピースの袖の下、おそらく陰になっていた部分に淡く残った模様の小さな花は、赤とピンクにグリーンの葉が添えられたバラだった。

人間が影だけ残して消えるのも恐ろしかったが、白以外の色を貫通する光線で模様どおりに肉体を焼かれるのも怖い。

この街を訪れるとき、私は白いワンピースを着こんでいたけれど自分の指の爪を見て、ネイルがペールブルーだと気がついた。

◯

〈日記より〉

8月5日。晴天。

朝、セブンイレブンのツナおにぎり。比治山の広島市現代美術館へ。

午後、おりづるタワーへ行く。向かいの原爆ドームと平和記念公園のまわりには、紺色の長袖に黒い防弾チョッキに黒いヘルメット姿の機動隊員たちがおおぜいいる。窓に格子がはいった機動隊のバスもあちこちに。ものものしい。

旗を掲げた団体や、制服姿の修学旅行生、民族衣装や宗教装束に身を包み楽器を演奏する人たち、マイクで街宣する人たちや、垂れ幕を垂らす人たち。

夕方、広島城の前に停めてある〈爆心へ〉バスのところで、ばったり十五年以上ぶりの友人たちに会えた。ひとりは吉祥寺で遊んでいた友人で、もうひとりはニューヨークで出会った友人。SNSでは他にも幾人かの友人たちがやはり広島の街にいることを知る。

夜の平和記念公園で写真のスライドショーがあるというので観に行く。九時を過ぎているのに人が大勢集まっていて、どこか賑やかだった。

ラーメンを食べ、とにかく暑い。気づくと足首を蚊に喰われていて痒い。皮膚が小さく赤く膨らんでいた。

◯

十五年以上前のこと。

私はアメリカ、ニューヨーク、ジャクソンハイツのアパートに住んでいた。その部屋の上階には台湾からやってきたというアーティストのイエローが住んでいて、よくカレーを食べた。それぞれがたがいの国へ帰国する直前、私とイエローは一緒にアメリカ横断旅行をすることにした。

二週間にわたるドライブ旅行の途中、私たちは、ニューメキシコ州トリニティ・サイトを訪れた。そこは世界ではじめての原爆実験が行われた場所である。かの地で原子爆弾が太陽よりもなお明るい光を放ったのは、1945年7月16日のこと。

私はたいした運転もできなかったから、私が地図を読む役目だった。とはいえ、その頃はまだGoogle Mapもなく、私は地図を読むのも不得意で、しょっちゅう間違った方向へ車を走らせた。あの日も、なぜか先住民のプエブロに辿り着き、慌てて引き返し、ようやく見つけたガソリンスタンドで何度も道を確認したのだった。

ちなみに正確には、私はトリニティ・サイトを訪れた、ではなく、すぐそばまで行った、だ。というのも、その地はいまなおホワイトサンズ・ミサイル実験場とよばれるアメリカ陸軍の敷地の一部で、トリニティ・サイトへのゲートは年に二度しか開かないから。私は何の計画性もなくそこを訪れたから、閉ざされたゲートの向こうまでは入ることができなかった。まわりの土はどこまでも平らで乾いて赤茶色で、何も見えない。

ただ、とにかくホワイトサンズとよばれる地域は広大で、そのうちの一部、アラモゴードの街に近いところはホワイトサンズ国定記念物という公共の場所になっていて、そこへは入ることができた。まさにその名のごとく、白い砂丘があたりいちめん広がっていた。

陽射しが強い下、ビーチバレーみたいに砂の上でボールを投げ合う半裸の若者たちがいた。私もイエローも一緒になってスニーカーを脱ぎ捨て、裸足で白い砂の上を走った。その足裏に触れる砂は存外ひやりと冷たい。

ビーチの砂浜が熱いのは砂が茶色いからだとホワイトサンズを案内するレンジャーが教えてくれた。光は白に反射し、黒に吸われる。

トリニティ・サイトを訪れてからまもない頃、私は林京子の本をはじめて読んだ。『長い時間をかけた人間の経験』。その本の中に「トリニティからトリニティへ」という文章があった。

それは長崎で十四歳のときに被爆し、後に作家になった彼女が、アメリカ、ニューメキシコ州、トリニティ・サイトを訪れて書いたというもの。トリニティ実験で使われたのは、長崎に投下されたのとおなじプルトニウム型の原子爆弾だった。

かつて十四歳だった少女は、その時六十八歳。

被爆者は核兵器のモルモット、といわれる。被爆者の人生が人の役に立つのであれば、私はモルモットの不幸に甘んじる。
「トリニティからトリニティへ」は六日九日の、そして人と核兵器の原点である場所からの、発信である。

彼女はトリニティ・サイトに立ち、こう書く。

私は、被爆者の先輩が母なる大地であったことを、知った。1


彼女が亡くなってから、もうすぐ十年が経とうとしている。


日記より

8月8日。曇天、時々小雨。

朝、長崎県美術館へ。〈爆心へ〉バスのツアーで銭座小学校へ。

一度、長崎県美術館へ戻ってから路面電車に乗り、エレナプラっとモールで買ったシナモンロール、お茶。その後、爆心地公園へ。

爆心地公園にはテントが幾つも立っていたし、白いクロスがかけられた献花台に献花をしている人たちもおおぜいいたが、機動隊員たちの姿は見なかった。

平和公園の半裸の祈念像は何度見ても巨大。

午後には小雨が降って、少しは暑さがましになったが、なお暑い。友人が差し入れにと蒸したての長崎ぶたまんをくれた。美味かった。

十字架と墓石が入り混じる墓地の隣にある坂を登ったところにあるAirbnbに泊まり、風呂に入って、眠る。

  1. 『長い時間をかけた人間の経験』所収「著者から読者へ」より

ドローイング 著者

(つづく)

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