敷布団と枕と25年
エッセイ

四十七歳の不調

敷布団と枕と25年

 毎晩床で寝ているという人がいた。

 短大を卒業したあといくつか渡り歩いたアルバイト先の先輩だった。小さな料理屋でアルバイトの人数が少なかったから、シフトが重なることが多く暇な時によく話をした。

「飲みすぎて帰ってきて、布団までたどりつけずに床で寝ちゃったんだよ、そしたらそれが気持ち良くて、くせになったんだな」と先輩は言う。床というのは絨毯を敷いたやわらかい床ですらない、フローリングの本気の床らしい。季節は冬だった。シーツのようなものすら敷かず、ただ床に横になるなんて寒そうすぎる。掛け布団はしっかりかけると聞いてなお、想像上の体は寒い。

 枕はと聞くと「使わない」とのこと。気持ちがいいだけではなく、これまで寝ていたベッドのマットレスに比べて、寝起きの体調がいいそうだ。

 話を聞いたあとでネットで調べてみたところ、00年代のまだまだこれからのインターネット上にも、戦前から存在するらしい床で寝る健康法を紹介するサイトがあった。読んでいるうちに、私もじわじわ感化されていく。床、もしかしてちょっといいのではないか。

 この頃、私は父の実家で祖母と二人暮らしをしていた。何十年も前に叔父が寝起きしていたという部屋を使わせてもらっていて、部屋には木製のベッドがあり、年代物のスプリングマットが敷いてあった。分厚くてずっしり重い。横になると、体の重みを受けた場所が押されてへこみ、体の形に沿った。

 それまで何も考えずにマットに寝ていたのだけれど、床に興味を持ちはじめた私には柔らかすぎるように思えた。このせいで私は姿勢が悪いのではないか。徐々に疑わしくなってくる。マットの上にはごく薄い敷布団のようなものも敷かれ、その上をさらにシーツで覆ってある。床で寝る度胸はまだないけれど、少なくとも敷布団とシーツだけあればマットレスは不要なんじゃないか。

 よし。マットレスは、捨てよう。

 祖母に相談すると、捨ててもかまわないと言う。家は古い戸建で、一階に居間と台所、風呂、トイレが、二階に和室と私が借りている叔父の部屋があった。一階から二階へと上がる階段は、踊り場がなくまっすぐだ。傾斜が急で段差が大きく、暗くて幅が狭い。この階段を使い、マットを下におろす必要がある。

 祖母は丈夫で足腰の強い人だけど、それにしても老人に力仕事をさせるわけにはいかない。というか、それくらい簡単にひとりでできると思っていたのだ。

 粗大ゴミの日の朝。敬意を表し最終日までは使おうと、昨晩も寝たマットレスからシーツをはがして布団をのける。マットは全体がテラコッタ色をして、シャーロック・ホームズの家の壁紙みたいな柄だ。ベッドから下ろして脇に立てると側面で自立した。そのまま階段の入り口までずっ、ずっ、と、カーペットの床の上を押していく。

 作戦などはとくに考えなかった。階段の傾斜に合わせてマットを持ち上げつつ、落ちないように端の部分をぐっとつかむ。スピードが出ないように注意しながら、階段を滑り落とすようにすればいいだけだろう。

 だめだったのだ。壁紙柄のマットの表面は、長年の利用で擦り切れたことでつるつるとしなやかな肌触りをしていて、これが思った以上に手との間の摩擦を軽減した。それに、古く分厚いマットは想像以上に重かった。つかんだ手が、簡単に滑ってしまった。急な階段による位置エネルギーも大きく、マットはつるーんと一気に階下へ滑り落ちた。

 ありゃ! とは思ったけれど、まあ滑り落ちたとしても、慎重に下ろすのと起きたことは変わらない。マットが二階から一階に移動しただけだ。少し音がうるさかったものの問題ないだろう。と、思えたのはたった一瞬であった。

 階段の下には、赤いポリタンクが置いてあった。四角くて中央にばつ印のエンボス模様が入っている、灯油入れである。祖母の家では冬は毎年灯油ストーブを使って暖をとっていた。ストーブのタンクが空になれば、ポリタンクからポンプで組み上げて灯油を移す。それなりの頻度でする作業だから、このときポリタンクの給油口のキャップはゆるくしまっていた。

 そこに、マットはストライクしたのであった。

 倒れるポリタンク。早速どくどくと廊下に流れ出す灯油。灯油がしみるマットレス。階段をマットにふさがれすぐには下りられない私。台所から何事かと飛び出す祖母。

 祖母がすぐにポリタンクを立ててくれたものの、灯油はそれなりにもう流れ出してしまっている。えっ。もしかしてこれ、火事になる……? 祖母は素早くあたりの窓をみんな開けている。玄関も開けた。雑巾と古新聞をたくさんもってきてくれて、こぼれた灯油をふいていく。やっと一階へ下りられた私は「こすらないで、叩くように」と祖母に言われて、はっとしてぽんぽん叩くように廊下とマットを拭きとった。

 祖母はなんでも大切にする人だった。マーガリンの容器を捨てずに繰り返し保存容器として使っていて、台所の物入れに大量に重ねてあった。買い物で増える紙袋も今にも破裂するくらい納戸にいっぱいだ。おかげで、紙袋が充満した納戸にしかかもせない独特のにおいを私は知っている。そんな祖母だから、大切な灯油が目の前でどばどばこぼれるなど、痛恨の極みだっただろう。祖母はそれでも、おだやかにゆるしてくれた。「あんまり無理しちゃだめよ」と言って、ゴミ捨て場まで、一緒にベッドマットをひきずっていってくれた。

 その晩から、私はベッドに薄い敷布団を敷いて寝るようになった。何十年も祖母の家にあったマットを捨て、灯油までぶちこぼした上で得たあらたな就寝環境で、驚くべきことに私の気分や体調は、なんと何ひとつ変わらなかったのであった。

 ぬるっと体が沈む古いマットレスとは寝心地はまるで違う。薄い敷布団の向こうには確かにベッドの硬い床板を感じ、それが心地よいような気もする。思えば祖母宅に来る前、実家でもマットレスとは無縁だった。敷布団で寝ていたのだ。単純に、実家に戻ったような寝心地だった。

 先輩のように本気で床に寝ないと、床の良さはわからないのかもしれない。それで一度は試してみたけれど、カーペットの上であっても冬の床は寒くて耐えられず、結局、深夜に敷布団の上に移動した。先輩に事情を話し、さすがに床に寝るまではたどり着けませんでしたと伝えると、「俺なんてね、この間もうベッド捨てたからね」と言う。

 おお、さすが徹底していますねえと感嘆したそのときだ。通りかかった、私と同時期に入ったアルバイトが「私は床では寝られる気がしないですけど、枕が米ですね」と言ってきたのだ。枕が米。

「実家が米を送ってくれるんですけど、一人暮らしでぜんぜん減らないんですよ。前に使ってた枕が古くなって捨てたとき、もしかしてこの米枕になるんじゃないかと思ってやってみたら、いけたんです」枕にしているというのは、スーパーで売られているような、5キロの米袋だそうだ。

 枕の中身には、綿わたやスポンジのようなもののほかに、つぶつぶした物を使ったのがある。蕎麦殻とか、ビーズとか。米袋もそれみたいなものか。同期は「望んでそうしているというよりも、行きがかり上そうなってるんですけど、悪くないですよ」と、それから「どうせ中の米を食べるのは私だけだから、衛生面で誰かにとやかく言われることもないですしね」とそれは淡々と言った。

 マットレスを捨てた直後、睡眠に意欲を高めた私ははじめて低反発の枕を購入し、使いはじめていたところだった。小さな山と大きな山がなだらかに二つ連なるような型をしており、首をそわせることによって背骨がまっすぐになって心地よく寝られるというふれこみの人気の枕だ。私にとっては高額だったから、まさか米で枕をなんとかしている人がいるとは思いもしなかった。

 低反発の枕は友人に勧められて買ったものだった。肩こりがよくなったと言うから真似したのだ。それなのに、ずっと使ってきたなんてことない綿の枕との違いが、寝床を敷布団に変えたとき同様、やっぱり私には感じられずにいた。米の枕の話を聞きながら、私はきっと米の枕で寝ても変わらないんだろうなと、しゅっと沼に落ちるような思いがした。

 床に寝る先輩と、米を枕にする同期がいるバイト先を辞めて、もう25年以上経つ。あれから今に至るまでずっと、私の敷布団は薄い布団のままだ。ただそれで慣れたというだけで、納得がいっているわけではない。枕も枕で、例の低反発のを皮切りにあれこれ試しては、いまだに未達成感にさいなまれ続けている。

 特に枕はとにかく種類が多い。大きな家具店に行くと、なんでこんなにと思うほどの選択肢がある。世の中を見渡せば、あの先輩のように、床に仰向けになって枕なしで寝ることで健康を得ている人がいて、実家から送られてきた米袋を枕にしながら、悪くないと思っている人がいるくらいなのだから、もはや選択には際限がない。いつか、飲み会で同席した人が「枕に満足している人なんて、ごく少数なんじゃないですかね」と言ったのには救われた。「多くの人が最適解に辿り着けていないもの、それが枕なんじゃないですか」とも言い、本当にその通りだ。

 数年前、新刊の刊行記念で同時期に本を出した方とトークイベントする機会があった。ありがたいことに大盛況で、対話も盛り上がった。せっかくなので、ダイジェストを記事にしましょうと出版社さんが取り組んでくださり、当日の写真とともに対談形式の読み物となって公開されることになった。

 まとめてもらった記事が事前の確認のために送られてきて、驚いた。内容はすばらしいものだ、相手の方の話はライブの熱気を損なわず、散漫な私のしゃべりも読みやすくまとまっている。こんなにありがたいことはない。驚いたというのは、写真だ。

 むっちゃくちゃにストレートだったのだ私の首が。

 ストレートネックという言葉を、いつ頃からか頻繁に聞くようになった。スマホ首とも言われるから、スマートフォンが登場して以降、人々のあいだで顕著になった症状なのだろう。スマホやパソコンの画面を見るために首を下に傾け続けることにより、本来なだらかに湾曲するはずの頸椎が真っ直ぐになってしまう症状だ。首や肩の凝りに繫がるほか、体にさまざまな悪影響があるという。

 順当にいって、どうせ私はストレートネックだろうとは思っていた。パソコンを一日中見ている。スマホも大好きで手放すことはない。確かめる前に、あらかじめ降参していた。どうせストレートネックではあろうけども、肩こりは以前からずっとだし、幸い頭痛やしびれが出るには至っておらず、とくに対策もせずにいたのだ。

 写真に写った横から見た私の首は、見事に前に突き出てピンとまっすぐであった。人間というよりも、ほとんど鳥の首だ。

 子どもの頃から姿勢が悪いと言われ続けてきた。猫背で、巻き肩で、反り腰だ。歩けばがに股、足の靴は外側からすごい勢いで減っていき、雨の日は泥を跳ね上げてしか歩けない。骨盤もおぼつかず、スカートは歩くほどにくるくる回って止まることがない。それに加えて、覚悟はしていたもののこんなにも首がストレートだったとは。

 ふるえて写真をじっと見た。5分くらい見続けたし、目をそらした後も何度かページを開きなおして見てしまった。本当にストレートだからストレートネックって言うんだなと、自分の首を見て症状の名称の由来を直に味わった。

 怖い。こんなに見事なストレートネック、今は困るほどではないけれど、早晩厄災があろう。あわててストレッチ法を調べ、ポピュラーな方法だというタオルを使った牽引を試す。グッズもあれこれ売られているらしく、調べているうちに、この問題こそ、寝具に頼るべきではないかとはっとした。

 敷布団、枕。もちろん日中の行いやマッサージ、ストレッチが肝要だろうけれども、寝ているあいだにほんの少しでもストレートネックに抗えたらこんなに頼もしいことはない。なんせ人生の三分の一は寝ているのだ。

 ざっと簡単に検索した限りだけれど、一般的に敷布団は柔らかいマットよりも硬いものがいいと言われているようだ。灯油をぶちまけながらもマットレスを捨てたあの頃の自分が、突如むくわれ驚く。枕は高すぎず首の隙間を埋めて支えるようなものがいいらしい。自然な首の湾曲が補助できるため、ビーズの枕は向いていると寝具メーカーのサイトに出ていた。米の枕もまさかここで肯定されるとは。

 このときの私の枕は、あれこれいったりきたりを繰り返したのち、かつて買った低反発の枕に戻っていた。ストレートネック対策としては悪くない枕らしいけれど、もう少しみっしり固めに首を支えるものに、試しに買い替えてみることにした。

 その後しばらくして、また自分の姿を写真で見る機会があった。驚くほどにまっすぐ、鳥のように前傾したあの写真のようでは、さすがになくなっていた。ストレッチやマッサージを積極的にがんばっているけれど、ちょっとは枕も効果を発揮しているといい。

 ところであのバイト先の先輩は、毎日床で寝るような破天荒さのなかにも、独特の色気のある人だった。恋人はいないと聞いていたのが、いつの間にか料理屋の上の階に入っているゲーム会社のデザイナーと付き合いはじめたそうで、聞けば休憩中にビルの喫煙所でタバコを吸っていたときに声をかけられたのだという。

 ある夜バイトを終えたあと、枕が米の同期と一緒に料理屋のビルにあるローソンに寄った。店内には先輩が恋人らしき人と一緒にいた。恋人は靴を履いておらず裸足だった。グミの小袋を手に、おそらく会社に戻るのだろう、先輩を残してローソンを出ていった。

 床で寝たり、米を枕にしたり、会社のビルのコンビニに裸足で行ったりする、なんというか、そういう感じの時代だったなと思う。人がストレートネックを心配するようになる少し前のことだ。

(了)

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