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疲れて鼻筋が腫れ痛い、思てたんと違う
古賀及子
2024年の春、鼻筋の真ん中が腫れた。 最初は何が起こっているのかよく分からなかった。以前から、たまになにかの拍子に小鼻が腫れて固くなり、押すと痛みを感じることはたまにあったから、それと同じようなことなのかなと思った。 私は子どもの頃から、いかんともしがたいアレルギー性鼻炎もちだ。小鼻の痛みについては、鼻炎の診察のついでにかかりつけの耳鼻科医に相談したことがあった。うろ覚えなので、今まさにそういっ

移動手段の中では断然自転車が好きだった。またがってこぎだせば、エンジンをかける間もなくいきなりスピードが出るのがいい。足でこぐと前に進む自転車は、自分と完全に一体だ。景色がびゅんびゅん前から後ろに通り過ぎることに、何って私が速いのだという痛快の手応えがある。
10代の頃に暮らしたのが埼玉にある山の斜面の街で、そこでは傾斜が強いため自転車は使い物にならなかった。その無念を晴らすように、進学のため東京に出てきてからはずっと自転車で移動してきた。
00年代の最初、20代の頃に街でマウンテンバイクに乗るのがちょっと流行した。ああいうかっこいい自転車でいっそう軽快に移動してみたいものだと、一体どこで買えるのだと調べて見つけたスポーツ自転車の専門店に飛び込んで、出たばかりの少ない給料から6万円を注ぎ込んでカナダのルイガノの黒いマウンテンバイクを買った。
店員さんが、一時停車するときは、片足を地面についてもう片足はペダルにのせておくといいと教えてくれた。そうすると強く踏み込んですぐに走り出せるから。いつでも整備しますよと、ボディにお店のステッカーを貼ってくれて、今でも店名を覚えている。ただ検索したら、ずいぶん前に閉店してしまったようだ。
当時私は東京の祖父母の家に居候していた。祖父は私が乗って帰ってきた自転車を見て、すぐに隣家との隙間の細い地面にコンクリートブロックを敷いて自転車置き場を作ってくれた。あのとき祖父は、孫がそれなりに意欲を持って自転車を買ったと気がついてくれたのだ。当時はわざわざ置き場をと恐縮するばかりだったけれど、今思えばなんて心強いことか。
意気込んで、祖父母の家から勤め先の新宿まで、自転車で行くようになった。だいたい40分くらいだったと思う。祖父母の家は品川区の端っこで、難所は恵比寿駅のあたりの急坂だ。長くて勾配もきつくて、自転車のちゃんとした乗り方を無視して、がんがん立ちこぎして雑にのぼった。会社に自転車で来る人は誰もおらず、小さなオフィスビルには専用の置き場もない。「エレベーターに乗せて執務室の前まで持ってきて置いといていいよ」と上司が言ってくれた。
この会社を辞めたあと、次の会社に移るまでのあいだに、当時できたばかりのコワーキングスペースのはしりみたいな所に世話になった。今度のビルは商業施設が併設されているから、駐輪場がある。
仕事が押して帰りが遅くなってしまった日、店舗エリアの閉店時刻に合わせて駐輪場も閉まってしまい、自転車が出せなくなったことがあった。どうしたものかと、いつもにこにこ挨拶してくれる警備員さんに相談すると、ビルの防災センターにかけあってくれた。結果、門はもう開けられないけれど、自転車を持ち上げて門の上を通せれば出していいという、思いもよらない豪快な判断がくだったのだった。駐輪場は地下にあった。地上に通じる坂の途中に設置された門は高さ2メートルくらいの柵で、上の部分が隙間になっている。
警備員さんが門の向こうで待っていてくれて、駐輪場の出口まで自転車を押していった私は車体をかついで柵の上に乗せるようにした。警備員さんが、「こっちに放り込んで、手、離していいよ!」と言う。向こう側に落とし込むように自転車を傾けると、警備員さんがボディの部分を両手でがっちり持って受け止めて、柵の外に降ろしてくれた。急いで私もビルの中を通って柵の外へ回る。「出せたねえ!」と警備員さん。「はい! ありがとうございます!」「気をつけて帰ってよ」。00年代前半の話だ。今のセキュリティのマニュアルでは、こんなことはきっと許してもらえまい。
そのあと会社員になると、自転車通勤自体が認められなかったものの、それ以外の移動手段は基本自転車だった。筋肉のつきやすい私の足は太もももふくらはぎも四角くてがちがちだった。乗れば乗るほど足がガンダムになっていき、我ながらたくましかった。
子どもが生まれた。今度は保育園への送迎の必要が発生し、いよいよ自転車は生活の要となった。
最初の電動自転車は、かつてサンヨーが作っていたエネループバイクというのを買った。色はメタルがかったエメラルドグリーンだ。何色かあるなかでどれにしようか選んでいるとき、小学生の頃に住んでいた団地のフェンスのエメラルドグリーンが好きだったのをぱっと思い出したのだ。日ごろ服も持ち物もみんな地味な色を選びがちだから、私にしては華やかな色選びだった。子育ての真っ最中の頃で、気持ちがかっかしていたのかもしれない。エネループバイクは、下り坂で発電してバッテリーへ充電できる回生充電機能というのを搭載しており、坂をすべって下るとウィンウィンと音がして、いかにも発電していそうな乗り心地がたまらなかった。
この頃は、電動自転車の充電の残量がスマホの充電よりもずっとずっと大切だった。二人の子どもを前後に乗せて、大きな充電器を持って遠くの親戚の家まで行って、子どもたちを遊ばせながら充電させてもらって帰ってきたことが何度もあった。
私が子どもの頃はまだ電動自転車がなかったし、子ども乗せ専用の自転車というのもなかった。小さい子の親は、ママチャリの後部座席に針金で作った網のような、子が乗らないときは箱型の荷台になるカゴをつけて子どもを乗せていた。いつか母が運転する自転車の後部座席のカゴに乗っていたとき、母が「ちりんちりん」と声に出した。「どうしたの」と聞くと、「前から中学生が歩いてきたから」と言う。ベルを鳴らす必要はないけれど、一応自転車が近づいていることを知らせたくて、つい声が出たらしい。二人の子を乗せ運転するとき、何度もこのことを思い出してひとり噴き出した。私も声で「ちりんちりん」と言うことがあるんだろうかと、待っていたのだけど、ついぞ口から出ることはないままだった。
上の息子が後部のシートに乗らなくなる頃にエメラルドグリーンの電動自転車は故障してしまい、修理も難しそうだった。近所の自転車店で、小さな会社が製造しているという黒い電動自転車を買って、また下の娘と一緒に嫌というほど乗りに乗り、娘も子乗せのシートを卒業したとき、これで一人乗りに戻るのだと、驚くように気がついた。
しばらくは子乗せシートを外して黒い電動自転車を乗っていたのだけど、電動部分が故障してしまい購入した自転車店に修理を頼みに行ってみると、自転車の店はすっかりなくなってケーキ屋になっていた。説明書に記載のメーカーに電話してみるもつながらず、どうやら廃業したらしい。
電動自転車というのは電動機能が壊れると恐ろしく重く、普通の自転車としては乗れるものではない。諦めて手放して、次も電動にするか、それともかつてのマウンテンバイクのようなスポーツタイプにするか、どうしようかと悩んだ結果、クロスバイクを買うことにした。街乗り用のスポーツ自転車だ。台湾のメーカーのジャイアントの、今度も色は黒にした。
おや、と最初に感じたのは、友人の家に遊びに行ったときだ。コロナ禍が収束する頃、旧友が他県から東京に仕事の都合で引っ越してきた。「ぜひ遊びにきて」と言われて、距離的には私の家からそれほど遠くはないのだけど、電車で行くとなると1時間ほどかかる。よっしゃこれは自転車だろうと、30分ほど乗って出かけたのだ。
友人の暮らす街へは、幹線道路の半分くらいの太さの、住宅街をつっ切る二車線の道路を自宅からまっすぐ淡々と走るとそのうちに着く。地図を確認しながら右折左折を繰り返さなくて済むから、ただのサイクリングだ。けれど、なんだかちょっとつらかった。一本道は、ゆるやかに上りと下りを繰り返す。息切れする。足は問題なく自転車をこげるのだけど、胸が続かない感じだ。
もちろんこれまでも、自転車に乗ればちゃんと疲れた。勾配の強い、あの恵比寿の上り坂は20代の前半にだってひいひい言っていたし、長距離を走れば足はぱんぱんになった。けれど、つらくても、苦しいとは思わなかった。
急に根性がついていけない予感にふれたのだ。純粋に体がなまったのか。それとも、単純に年齢的なものなのか。友人は料理が上手な人で、今でもたまに招いてご飯を振る舞ってくれる。2回ほど自転車で行ったあとは、とくに深い考えなく、「まあ時間がかかってもいいか」と自然に電車に切り替えて今に至る。
うちでは娘が自転車を好まない。小学生のうちは習い事や公園へ乗って出かけていたけれど、中学に上がってほとんど乗らなくなった。交通ルールを守る自信がなく、運転が怖いんだそうだ。だから娘が選ぶ移動は徒歩と電車とバスのみで、移動手段に自転車がまったく入らない娘に、私も少しずつ感化されたところもあるかもしれない。
私の中にあった、濃くて太い、移動手段としての自転車の存在感は徐々に薄くなっていく。そうしてあれは2年ほど前か。なんと、消えたのだ。あれだけ乗っていた自転車に乗らなくなり、その後、姪が自転車を買おうか考えているというから黒いジャイアントのクロスバイクは譲ってしまった。
いま、家には自転車がない。隣街くらいであれば歩いて行き、自転車で30分、電車で1時間の場所にも黙って電車に乗って行く。そんな日が来るとは、二十五年前の自分も、二十年前の自分も、十五年前の自分も、十年前の自分も、五年前の自分も、思わなかっただろう。でも来た。来たら来たで、これがまるで驚くこともないのだ。
以前だったらすーっと自転車で行ったコンビニに、昨日も八月の夏の日差しを日傘で避けて歩いて行った。近所の女子校のバスケ部の子たちが木陰で買い食いの相談をしている横を、緑道で体操している人のじっくりした動きの横を、交流する犬たちとその飼い主たちの横を、徒歩のスピードでゆっくり通り過ぎる。コンビニでアイスとポテトチップスを買って、帰ってアイスを開けたら少し溶けている。
私の家の近所には三軒スーパーがある。ひとつは近くて、ふたつは遠い。だから自転車に乗らなくなってからは、近くのひとつにばかり行くようになった。あとは小さくてたくさんあるスーパーこと、まいばすけっとで済ませる。
たまに、遠い方のスーパーにもたわむれに歩いて行くことがある。先日、ひさしぶりに遠いスーパーのうちのひとつに行ったとき、駐輪場が思ったよりも広いのに気がついた。そのスペースの余裕は、やっぱり自転車があったほうがいいかもしれない、楽だろうなと私に思わせた。
かつて私が自転車に乗っていたのは、自転車が速いからだ。またがってこぎだせば、すぐにスピードに乗る。生来のせっかちから私が選んできたのが自転車だ。
これからの私の自転車は、速いよりも、楽なもの、なのかもしれない。荷物が乗せられる、歩いて行かなくてもいい。速いから乗るのではなく、楽だから乗る。近くのスーパーに行くのに自転車があると楽である。ものすごく当たり前のことだけれど、考えてみたらこれまであまり触れてこなかった価値かもしれない。子どもたちを電動自転車の前後に乗せていたのは、あれは速さや、楽さの手前の話で、それしか選択肢がなかったからだ。
マウンテンバイクに乗って、電動自転車に子供を乗せて、それからクロスバイクに乗って手放した。これから私が買う楽な自転車。それは、そうだ、シティサイクル、いわゆるママチャリだろう。それしかない。
ママチャリは、マウンテンバイクを買う前、学生時代にいっとき乗っていたことがある。もう30年近く前だ。通った短大が駅から遠く、最初はバスを使っていたのだけど、バスのスピードはどうにももどかしく、駅の近くのスーパーで1万円以下で売っているのを見て飛びついた。
駅のそばの駐輪場を定期利用で借りて、朝、自宅から電車に乗り駅に着くと、今度は自転車に乗って学校まで行く。夕方に学校から駐輪所まで自転車に乗って、電車で自宅へ帰った。
このときの自転車は、学校を卒業した後でサークルの後輩に譲ったところ、あるとき鍵をかけ忘れた際に盗まれてしまったらしい。それなりに乗って愛着があっただけにちょっと寂しかったけれど、申し訳ないとしょげる後輩の声を聞いていると、あんなに安い、しかもぼろぼろの自転車が盗まれるものかと、寂しさよりもずっと、そっちに驚く気持ちの方が大きくなった。
そのどれくらい後だっただろうか。数ヶ月は経っていたと思う。携帯電話に着信があり、出ると通った短大のある街の警察署の者だという。ある人物が乗っていた自転車の防犯登録を照会したところ、あなたの自転車のようなのだけど、盗まれたものではないですか、と言うのだ。
電話は早朝、朝5時台だった。寝ぼけた頭が、警察だという声に瞬時に冴えたのは覚えているのだけど、この警察署の人とどんな会話をしたかの覚えがあまりない。後輩に自転車を譲った際、本来行うべき防犯登録の変更をしなかったことは確かで、後輩が自転車を盗まれたのもそのとおりであり、説明した記憶はある。ただ、その後のやりとりで、ぼろぼろの自転車を確認しに警察署に赴くことになったりとか、自転車が手元に戻ってきたりした事実はなく、あの電話はどう会話を終えたのだろう。5時にかかってきたというのが怪しく、もしかしたら夢だったのかもしれないとちょっと疑うほどだ。
シティサイクルに乗っていたのは私の人生で一番のんきな頃で、そののんきさそのものが、自転車にも記憶されている。極めてちゃちな銀色だった。いつかこいでいたら急にぱきっと音がして、停まるといま走ってきた道に線が落ちている。戻って拾ったら、折れたスポークだった。
体力的な難しさをきっかけに自転車を降りたのだから、もしシティサイクルを買うなら、電動アシスト付きがいいだろう。となると、明日買おうというわけにはいかないくらいのお金が必要で、買ったらそれなりに、はりきってまた毎日乗る気がする。
臨時収入でもあったら本気で買うことを検討するとして、とりあえずボディの色はエメラルドグリーンにしようと思う。
(了)

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疲れて鼻筋が腫れ痛い、思てたんと違う
古賀及子
2024年の春、鼻筋の真ん中が腫れた。 最初は何が起こっているのかよく分からなかった。以前から、たまになにかの拍子に小鼻が腫れて固くなり、押すと痛みを感じることはたまにあったから、それと同じようなことなのかなと思った。 私は子どもの頃から、いかんともしがたいアレルギー性鼻炎もちだ。小鼻の痛みについては、鼻炎の診察のついでにかかりつけの耳鼻科医に相談したことがあった。うろ覚えなので、今まさにそういっ

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夏の不調の花束を
古賀及子
ある夜、足が熱かった。 そろそろ寝ようと横になる。疲れているしすぐに眠れるだろう。けれど、どうにも足のあたりに違和感があって寝つけず、足の裏が妙に熱いのに気がついた。痛いわけではないから、我慢しようとすればできてしまう。シーツの冷たいところを探したり、ベッドの柱に当てたりして冷やして、それでうとうとしてはまた熱っ! と覚醒するのを繰り返した。 そのうちようやく、このままではだめだ、朝まで寝られない

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疲れて鼻筋が腫れ痛い、思てたんと違う
古賀及子
2024年の春、鼻筋の真ん中が腫れた。 最初は何が起こっているのかよく分からなかった。以前から、たまになにかの拍子に小鼻が腫れて固くなり、押すと痛みを感じることはたまにあったから、それと同じようなことなのかなと思った。 私は子どもの頃から、いかんともしがたいアレルギー性鼻炎もちだ。小鼻の痛みについては、鼻炎の診察のついでにかかりつけの耳鼻科医に相談したことがあった。うろ覚えなので、今まさにそういっ

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夏の不調の花束を
古賀及子
ある夜、足が熱かった。 そろそろ寝ようと横になる。疲れているしすぐに眠れるだろう。けれど、どうにも足のあたりに違和感があって寝つけず、足の裏が妙に熱いのに気がついた。痛いわけではないから、我慢しようとすればできてしまう。シーツの冷たいところを探したり、ベッドの柱に当てたりして冷やして、それでうとうとしてはまた熱っ! と覚醒するのを繰り返した。 そのうちようやく、このままではだめだ、朝まで寝られない