リアルフリマにもう一度
エッセイ

母と娘のバケットリスト

リアルフリマにもう一度

かれこれ二十年以上前の話だ。夫の転勤によって海辺の街で新たな暮らしを始めた頃だった。商店街を通行止めにして大掛かりなフェスが開かれるらしく、その催しのひとつにフリーマーケットがあった。買い物に行くたびに「出店者募集」の大きな文字が目に入った。
引っ越したばかりで仕事が見つからない。知り合いもいない。心機一転、新しいことに挑戦したくて太極拳のサークルに入ってみたものの、そこは高齢者の憩いの場だったようで、当時二十代だった私は浮いてしまった。刺激を求めてエアロビクス教室にも入会したが、こちらはリズム感の無さと持病の関節痛の悪化により二ヶ月ほどのお試し期間で終了した。
フリマか。出てみようかな。
荷解きをだらだらと続ける日々を送っていた私にとって、絶好のタイミングだった。新居は前の家よりも狭く、収納に限りがある。妹に相談すると、「うちにも要らないものがたくさんあるから一緒に出たい」と前のめりの返事をもらった。

からっと晴れた六月の日曜日。大きな荷物を引き摺りながら商店街に向かった。アスファルトにチョークで区割りされ、横にずらりと古物商や一般の人々のブースが並ぶ。私たちもレジャーシートを敷いて、服や靴をぎちぎちに陳列する。儲けたいわけではないが、気に入って買った物たちではあるので、気持ち程度に三百円や五百円の値札を付けた。未使用のスニーカーを持ってきた妹は「ほんとは五千円くらいで売りたいけど二千五百円にしといてやるわ」と、やけに強気だった。

まあなんとかなるでしょ、と呑気に構えていたが、ひとり目の客に「この服もっと安くしてよ」と強めに言われた私は「あ、はい」と委縮し、あっさり半値にしてしまった。横で妹が冷ややかな目で見ている。こいつはちょろい、と一発で見抜かれたのか、その客は友人らしき人たちを呼び寄せた。みな口々に「もっと安く」と言う。人だかりを見て、さらに客が集まり、ほとんどの品が百円、二百円で売れていく。
「見てらんない。姉ちゃん、いい加減にして。簡単に値下げしないでよ」
腹に据えかねた妹が交渉役となり、私は後ろで静かに服を畳む係になった。アスファルトの熱が足元からじりじりと伝わる。流れる汗を拭きながら数時間、黙々と裏方作業に徹した。妹の接客は見事なもので、値引きを要求する客に「これ結構高かったんですよ。いい生地使ってるんです」と口調はフレンドリーだが簡単には譲らない。客は意外と「そうなんですねえ」と素直に買っていく。私は背後から「いけ、押せ」と祈るばかりだった。
値下げせずに粘ったスニーカーを終了間際に本人が渋々五百円で手放し、めでたく完売。眉間に皺を寄せていた妹も、この瞬間は笑顔になった。やり遂げた。ほぼ妹の力だけど、気持ちがいい。私たちは、ずっしりとした小銭の袋を持って喫茶店に向かい、チョコレートパフェを頼んだ。打ち上げは絶対パフェにしようとふたりで決めていたのだ。寂れた店の、なんのこだわりもなさそうなパフェだったけど、私はあの味を忘れられない。

また出てみたいな。着なくなった服の処分に迷うたび、熱を帯びたレジャーシートのにおいを思い出す。今の私なら、もっとうまくやれる。この十年くらいの間に文学フリマに何度も出店し、初対面の人ともだいぶ話せるようになった。もう物怖じしない。売り子としての経験値は格段に上がったはずだ。妹の後ろに隠れていた自分がどれくらい成長したのか試してみたい。フリマサイトのほうが便利だし高く売れるのもわかっているけれど、私にとっては今こそ「リアルフリマ」だと思い、この夏、二十数年振りの出店を決めた。
「私は出るつもりだけど、どうする?」
妹に尋ねると、その日は用事があり、滞在できるのは一時間くらいだという。ますます私の腕の見せ所である。
「今回は母さんからもたっぷり物を集めようぜ」
妹はさっそく乗り気で、それぞれの品を実家に持ち寄って値付けをした。前回独身だった妹はふたりの男の子の母親になり、子供用のポロシャツやハーフパンツも交ざっている。母は年齢とともに派手な色柄を好むようになり、不要になったモノトーン系の服を出すようだ。
「皺だらけの顔よりも服に目がいくようにしてんの。これライフハックよ。あんたもそうしなさい」
覚えたての横文字を使い、要らぬアドバイスをしてくる。

イベント前夜、おつりの小銭を数え、出品するシャツやスカートにアイロンをかける私を夫が興味深そうに眺めていた。
「あんた、お客さんに『いらっしゃいませ』とか言えんの?」
「は? 舐めるなよ」
「その曲がった手で会場に荷物運べんの?」
「できるに決まってるだろ」
「お願いしますってひとこと言えば車を出すし、運ぶのも手伝うのに」
「いい。自分でやる」
いつになくしつこく絡んでくる夫に苛立ち、最後には「ひとりでできるの! ひとりでやりたいの!」と園児みたいに声を上げたが、あろうことか翌朝寝坊をしてしまい、結局夫の手を借りることになった。
大型のランドリーバッグ五袋に品物を詰め、展示用に簡素なハンガーラックも持ち込んだ。夫はフリーマーケット自体よく知らなかったようで、周囲のブースをきょろきょろ見渡し、「あの店みたいに目立つように並べろ」と、えらそうに口を挟んでくる。ひとりで設営する私のことが心配で仕方ないのだろう。会場に付いてきたかったのなら素直に言えばいいのにと思う。でも、それは私も同じで、最初から素直に手伝ってもらえばよかったのである。妹や夫の力を借りずにどこまでできるか試したい思いでいっぱいだったけれど、実際のところ手の障害が進んでいるので荷物を抱えて何往復もするのは無理だったかもしれない。
「あとはひとりでできるよ。もう時間でしょ」と、整体の予約を入れていた夫を帰そうとしたが、彼はいつまでも会場をぶらぶら歩いている。私が何かやらかすのではないかと遠くから観察しているのだ。あなたは知らないだろうけど、私めちゃくちゃ経験者だから。大きな会場で売り子してきたから。

司会のカウントダウンの声とともに、入口で待機していたお客さんが一斉になだれ込む。なぜかみんながこっちに向かってくる。
――遠くから私のブースに気付いてくれたんですか。ありがとうございます。たくさんご用意しております。――文学フリマに出始めた頃の奮い立つ気持ちを必死に抑え、自然な笑顔をつくれるように準備していた。
しかし、集団は私の真向いのブースに直行し、競うようにクリアケースのなかの衣類を摑んだ。どうやらフリマ常連の人気店らしい。「オール百円」と書いてある。ケースの下のほうから掘り出すわくわく感がある。これは楽しいだろうな。じっと眺めていると、客同士が押し合い、弾かれた客のひとりが私の店に流れてきて通路側に飾っていたブラウスを値札のままの価格で購入してくれた。
おこぼれのような感じだけど、上々の滑り出しだ。やっぱりひとりでもできるじゃん。
だが、ほくそ笑んでいられたのはその一瞬だけ。そのあとはほぼ誰もやってこない時間が続いた。ちらっと覗いて、すぐ向かいの店に行ってしまう。
お、誰か来た、と思って顔を上げたら夫だった。まだ会場に残り、私の様子を遠くから観察していたらしい。
「誰も来ねえな。『いらっしゃいませ』ってちゃんと言ってるか? 声が小さいんじゃないか?」
「うるせえ」
にたにたと嬉しそうに笑う夫を追い返し、背中が小さくなるのを確認してから「いらっしゃいませー! 値引きしまーす!」と声を張り、数人を呼び込んだ。
遅れてやってきた妹は「なんかお客さんの年齢層が高めだね。だから服の趣味が合わないんじゃない?」と慰めの言葉をかけてくれた。母のド派手な薔薇模様や蛍光ペンみたいな発色のシャツこそが、この会場で求められていたのかもしれない。
三、四十代くらいの女性が「このブランド私も好きです。三百円とかで売っちゃいけない服ですよね」と言いながら三百円で買っていった。会場をぐるりと回ったあとで再訪し、まとめ買いしてくれる人も何人かいた。そして今回も「姉ちゃん、簡単に値下げしないでよ」と妹に小突かれた。誰にも見向きされない時間が長かったから、来てくれただけで値引きしてしまう。最終的に、五袋あった衣類が、帰りには四袋になった。売り上げは四千六百円。思っていたよりも多かったけれど、私はすっかり落ち込んでいた。
夫とファミレスに寄ってかき氷を食べた。数時間前の威勢のよさは消えていた。「で、売れたのか?」と尋ねる夫を無視して食べ続けた。嫌なことばかり言う。思い描いたように事が運ばない私をからかうのが楽しくてたまらない人なのだ。
素通りしていく人ばかりだったこと。値下げしても興味を持ってもらえなかったこと。居ないように扱われること。正面の人気店への嫉妬。溜まりに溜まった鬱憤が込み上げてくる。買ってもらえるって当たり前じゃないんだな。この界隈で知名度も実績もないなら、もっと売る努力をしなきゃいけなかった。私は傲慢だったな。そもそも交流を楽しむ場で完売をゴールに定めていたことがおかしかったのか。
帰宅して荷物を運び入れると、疲れがずっしりと押し寄せてきた。
「くやしいなあ、惨敗だったなあ。でもまた出るよ。次は絶対売れてやる」
思わず本音が漏れた。
夫は「やっと認めたか。不憫よのう」と笑い、濃いめのコーヒーを淹れてくれた。

(了)

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