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Illustration: ©DAISUKE KONDO

私にはウィッグがある
#日常#暮らし#健康
エッセイ2026/08/12

母と娘のバケットリスト

私にはウィッグがある

こだま

「死ぬまでにやりたいこと」を書き出したものをバケットリストと呼ぶらしい。二〇二五年の終わりに持病の手術を受けた私は、同じ病気の人の平均寿命を検索してみた。ほんの軽い気持ちだったのだが、とある病院のサイトを見て固まった。「六十代」と書いてあったのだ。
え、あと十年くらいしかないじゃん。
五十代に突入した私は衝撃を受けた。感染症のリスクや、ほかの病気を併発しやすいなどの要因があるようだ。定期的に通院しており、薬の種類が多い。たびたび入院もしてきた。それほど長生きはしないだろうと思っていたが、実際に突き付けられるといろいろと考えてしまう。
十年で何ができるだろう。やり残していることは何だろう。動けるうちにできる限りやっておきたい。病院のベッドで仰向けになり、不規則に落ちる点滴のしずくを眺めながら「ぼんやりしてる時間はねえな」と思った。
あとでわかったことだが、「六十代」というのは古い情報らしい。同じ病気の方が医師から聞いた話によると、一般の人よりも十年早まる程度ではないか、という。内閣府の令和五年のデータでは女性の平均寿命は八十七・一四年。つまり、七十七歳くらいか。
その歳まで生きられたら充分だろう。そう安堵する一方、すでに何十ものバケットリストを手帳に書き連ねていた私は気持ちの収まりがつかない。「限りある人生」という、ありふれたフレーズが妙に生々しいものとして心の真ん中に居座っていた。

二十代で膠原病の一種である関節リウマチと診断され、現在に至るまで緩やかに進行している。リウマチの知識は温泉の効能一覧で見かける程度だった。「打ち身、肩こり、リウマチ」と刺身盛り合わせの定番のように名を連ねる、あれだ。そのせいか、私は一過性の症状だと誤解していた。リウマチと聞いて目に浮かぶのは高齢者が膝をさする姿。加齢による痛みだと思い込んでいた。
だから、二十代後半のある朝、全身のあらゆる関節が赤く腫れ、布団から起き上がれなくなったとき、これがあのリウマチだなんて想像もしなかった。全身を打ち付けたような鈍い痛みが広がっているが、原因が思い当たらない。特に起床して二時間くらいは節々が痛くて何もできなかった。微熱もある。昼が近付くにつれて痛みがやわらぎ、夜には家事がひと通りできるまで回復した。だが、翌朝また同じ痛みに襲われる。その繰り返しだ。
最初に診てもらった病院では「ストレスや疲れによるものではないか」と言われて湿布と漢方薬を処方された。気の持ちようでよくなるのならもう病院に行かなくていいやと半年ほど放置してしまった。結果的には、それがよくなかった。初期のうちに薬で抑え込めば悪化を防ぐことができたのだ。私は何も知らなかった。
病は気から。痛いのは気のせい。朝起き上がれないのも私の気合が足りないせい。関節の破壊が進んでいるとも知らず、今によくなると信じていた。次第に朝だけでなく一日中ずっと身体に力が入らなくなった。歯ブラシさえ指が痛くて握れない。力を振り絞って買い物に出掛けても、帰宅する頃には節々が熱を帯びる。玄関のドアノブを回すことができず、家の中に入れない。こんな簡単なこともできないのかと途方に暮れた。
さすがに気のせいで済むレベルを超えていたので、少し大きな病院で診てもらったら関節リウマチと診断された。白血球が異常に増えることによって自己免疫が暴走し、本来は外部のウイルスを退治するはずの白血球が自分の身体を攻撃しているらしい。私の手指と手首はすでに変形していた。骨と骨の緩衝材となる軟骨が溶け、骨同士が直接くっついて関節が動かなくなっていた。
もう治らないのならしょうがない。ずっと謎だった病名がわかっただけでも前進だ。ちょっと手が不恰好なだけ。朝起きたときに体調が悪いだけ。疲れやすいだけ。そう現実を受け入れた。

実家に同居していた父方の祖母は変形した私の指を撫でながら「まだ若いのに。代わってあげたい」と目に涙を浮かべた。そんな祖母は右手の指が三本ない。子どもの頃、奉公先の工場の機械に指を巻き込まれ、第二関節から先を失ったのだ。
代わってあげたいって、ばあちゃんそもそも指ないじゃん。
つられて泣いてしまいそうだったので、心の中で突っ込んだ。あれは祖母だけが使える指なしジョークだったのか。彼女が亡くなった今では確かめようがない。
肺炎で入院していた母方の祖母も同じように「代わってあげたい」と言った。満身創痍のふたりに憐れみの目を向けられるほど、「若い女性の手」ではなくなっていた。
指がまっすぐに伸びない。右手は五本とも別々の方向に曲がっている。昔話に出てくるやまんばみたいな歪な形だ。ふたりの祖母には信じてもらえなかったけれど、私はこの変な手が嫌いではない。久しぶりに会った知人に「また進化しちゃいました」と見せびらかしたりする。ふざけている場合ではないのだが、実際そこまで深刻に悩んでいない。

じわじわと変形を続ける手指や手首のほかに、前触れなく腫れ上がる急成長型の患部もある。前回は頸椎、今回は左肘だった。どちらも激しい痛みが続き、手術が必要になった。どの関節が急に痛くなるか予想がつかない。関節の部位が書き込まれたルーレットを回しているような気分だ。
私の左肘は三年かけてムキムキと固く膨れ上がり、皮膚は限界まで張り詰め、赤いまだら模様になった。症状の出ていない右肘と比べると、別人の腕のように太い。
何かに似ているなと思っていたら、片方のハサミだけ異常に大きく発達した蟹だった。幸か不幸か色まで寄せにいっている。画像を検索すると、大きなハサミを誇らしげにエイッと青空に掲げていた。あるときは昔飼っていた猫の仕草を思い出した。左肘が曲がらないため、右手一本で洗顔する日々を送っていた。その右手も変形してうまく広がらず、ほぼグーの状態で顔面をこねくり回す。うちの猫もごはんのあとは額や髭を片脚で念入りにぬぐっていた。猫がいた頃を懐かしく思いながら、丸めた右手でがむしゃらに顔を洗う。泡が全然流れていかない。今の私は蟹であり、猫。そうやって身体の不自由さから目をそらした。

手術は肘に三ヶ所の穴を開け、小型カメラを入れて「膨張」の原因となる組織を搔き出すというもの。カメラで覗いてみると、骨になかなか辿りつかないくらい余分なものに覆われていたという。予定を大幅に超える四時間の手術となった。
私が術後の痛みにじっと耐える傍ら、相部屋の人たちは「退院したら何食べる?」と話し込んでいた。五十代の女性のひとりはパンケーキを食べに行くという。「娘が予約してくれたんだ」とカーテン越しでも表情が目に浮かぶ。もうひとりの五十代女性はラーメンかパフェで迷っていた。口数の少ない六十代女性も「串だんごを買って帰ろうかな。この近くに美味しい店があるんだよ」と、いつの間にか加わっていた。
ああ、そうだな、外に出られる日を想像するだけでちょっとわくわくするよな。私も痺れる肘をさすりながら「何を食べよう」と考えた。そして、退院の日、降り積もった雪を搔き分けながら、予約していたかき氷専門店にまっすぐ向かった。そんなささやかな計画が、病床の身には冒険であり、バケットリストの一行目に記したものだった。

年が明け、退院から一ヶ月も経たないうちに小説の発売日を迎えた。九年前に依頼をもらい、構想を練っていたにもかかわらず、ずっと書き上げられずにいた創作小説だ。とにかくこの本を出したかった。一月から三月まで各地で刊行記念イベントも計画していた。
やっと書けた。やっと手に取ってもらえる。だけど、その喜びとは裏腹に、私は人と会うのがこわくなっていた。術後の経過が思わしくなく、強めの薬を服用するようになってから抜け毛が明らかに増えた。副作用として脱毛の可能性が記されていた。普段から飲んでいる薬にも同様の副作用がある。加齢によるホルモンの不安定さも当然ある。ただでさえ分け目がやばいのに、畑のあぜ道くらい、頭にくっきりと一本の道が走っていた。その上、頭頂部に百円玉サイズのはげまでできていた。ストレスによる円形脱毛症である。過去にも同様の抜け毛があった。手指も手首も肘も限界だが、頭皮も負けていない。
サインをするときにはげが丸出しになってしまう。私は青ざめたが、こんなときに最適なグッズがある。頭からすっぽり被る『犬神家の一族』のスケキヨのゴムマスクだ。匿名で活動しているので、イベントや取材では覆面を着用している。特にスケキヨは顔だけでなく、はげも隠してくれる。なかったことにしてくれる。万能だ。でも、イベントはそれでやり過ごせるが、打ち合わせや打ち上げにその姿で参加するわけにはいかない。
一月と二月のイベントは円形脱毛症の周囲を地毛で固めて隠した。そう思っているのは自分だけで、実際にはぜんぜん隠せていなかったかもしれない。落とし穴に枯れ草を被せるような粗っぽい細工だった。穴が露呈しているのではないかと何度も指先で確認した。
髪がなかなか生えてこないことに焦りを感じた私は、思い切って通販サイトでウィッグを購入した。前々から気になっていたけれど、ためらっていた。はげを隠していると知られるほうが恥ずかしいような気がした。堂々とはげを抱えて生きろ、いや、隠しましょう。自分の中で相反する声がする。
そして、三月。薄毛の範囲が広まり、いよいよ手に負えなくなった私は、とうとうウィッグを手にした。頭頂部を隠す程度の「部分ウィッグ」である。手のひらにふんわり載るくらいのミニサイズで、ピンでパチンと留める仕様。癖毛の私とは明らかに異なる、ストレートで艶のある髪質だった。動画で使用方法を学んでから着けてみたが、やはり違和感がある。頭をぶるぶるっと振ってみたらウィッグがちょっと浮いて、分け目がズレた。これが俗に言う「載せている」状態か。確かに目の前にこの髪型の人がいたら凝視してしまう。子どもの頃は、はげのネタを無邪気に笑っていたが、いまは自虐する人を見ると「無理すんなよ」と肩を叩きたくなる。
ウィッグを被ると決めたものの、いざとなると怖気付いた。変な目で見られたらどうしよう。私は胸の内だけでは抱えきれず、一緒に登壇する担当編集者に「次の札幌のイベントはウィッグを被って出ます。今はげてます」とメールで打ち明けた。不思議なことに、それだけで気持ちが軽くなった。もう、ひとりだけの秘密ではない。宣言してしまえば、別にたいしたことではないような気がしてきた。
イベント当日、打ち合わせのために入った喫茶店で、耐えられずに自分から「きょう着けてきたんです」と切り出した。編集者は「言われるまで忘れていました。いつもより髪がまっすぐだなとは思っていました」と言った。たとえ社交辞令だったとしても、その一言に救われた。「なんか載ってますね」と笑わずにいてくれたことが、ただありがたかった。
その日は、よりによって暴風雪で、私は常に頭頂部をしっかり押さえて歩いた。かつらが風に飛ばされる。そんな光景は決してギャグ漫画の中だけではないのだ。これはふつうにありえるぞ。私は気を引き締めた。
いつものスケキヨではなく前面だけ覆うマスクで入場した。隠しているのは顔だけではない。それを知っているのは私と編集者だけである。札幌のお客さんやスタッフの方の温かさにも触れ、その勢いで三月の外出はウィッグで過ごした。取材ではカメラマンが、座って本を読む私をやや上から撮影した。「顔が映らないように、おでこの辺りまで本を持ち上げてもらえますか」という匿名ならではの気遣いも、この日は緊張が走った。まずい、被っている部分だけが大写しになる。目を凝らすと「頭皮の網目」が見えてしまう。気が気ではない。後日掲載された写真は「着用例」のようなきれいな分け目になっていた。

雪解けとともに頭頂部の穴にも春が訪れた。もう「載せる」のは終わりにした。そのかわりといってはなんだが、人生初の縮毛矯正を受けた。ウィッグの艶のある柔らかな手触りを覚えてしまったのだ。手に負えない癖毛がどこまでまっすぐになるのか知りたかった。経験しないと、その良し悪しはわからない。「私の硬い髪でも大丈夫でしょうか。今よりも薄く見えたりしないでしょうか」と、いつもお世話になっている無口な美容師に尋ねた。彼は「大丈夫っすよ」と言った。結果、分け目は相変わらず薄いけれど、さらさらになった髪で夏を迎えている。ウィッグは次の登板機会を虎視眈々とクローゼットの奥から狙っている。

(了)

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母と娘のバケットリスト

私にはウィッグがある

次回連載予定日:9月9日 12:00