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嘘で揺るがし、対処し、走り抜ける
#漫画#創作#創作の神秘#発見
インタビュー2026/09/30

嘘で揺るがし、対処し、走り抜ける

増村十七

知る人ぞ知る早逝の作家、レイナルド・アレナスに大きな影響を受けたというマンガ家・増村十七氏。
本稿は、26年9月号の特集「小説と漫画の接点」の番外編「漫画と小説の接点」として、増村氏がアレナスから受けた創作への影響から、マンガにはない小説独自の効用を紐解いたインタビューです。

初めて読んだ十数年前には、仕事も全くなかったので、あり余る時間を埋めるため、人に勧められるままに、面倒くさい本ばかり読んでいました。ドゥルーズ=ガタリ、笙野頼子とか。難解なものを選んで読む中で、本書を知りました。

個人的には中南米文学の代表とされるガルシア=マルケス『百年の孤独』よりもずっと好きな作品です。マルケスの方がウェルメイドなものを安定して作ったかもしれないけど、アレナス作品の不完全さは、文学の魅力の一つと言えるんじゃないでしょうか。

一読して、なんだこりゃ、と衝撃を受けました。

冒頭、すぐに異変がおきます。第1章、第2章がそれぞれ一人称、二人称、三人称と人称を変えて、3度繰り返されるんです。夏目漱石のような日本の常識の中での「正当な」文学とは別系統で進化したものが目の前に突然現れ、当てられました。

「親愛なるセルバンドよ」と題された前書きでは、語り手は、200年前の修道士・セルバンドをして「あなたとぼくとは同種の人間である」と語っています。そのことを踏まえると、人称を変えて異なる視点から3度同じ場面が繰り返される、という一見奇抜な表現は、アレナスの誠実さだと読めました。一人称でセルバンドとしての「私」の話をし、二人称で「あなた(=セルバンド)」の話をし、三人称「彼」を使って、語り手がセルバンドを通して世界を見る話もしている。この人称の変化は、小手先のテクニックではないと思えます。アレナスは、異端信仰の咎で生涯逃亡者であるセルバンドに自身を完全に同一視し、その人生を題材として選ぶ資格が自分にあるとしている。それならば、見えている全ての視点から描くことに必然がある。そして、その執拗な視点の変化が自己満足ではなく、幻想的な文章表現を用いることで、しっかりと読者を楽しませてもいる。その正しさや、情熱に、じゃあ私(増村)もあなた(アレナス)だ、という気持ちにさせられました。

第1章だけでも10回は読み返しています。あるいは著者にとっても入魂だったんじゃないかと思われる、セルバンドがロス・トリビオス監獄にぶち込まれる第24章。セルバンドは監獄で鎖でぐるぐるに拘束され、その鎖の塊はどんどん大きくなり、やがて街ごと飲み込んでしまいます。いわゆる荒唐無稽な話なんですけど、この場面には大変胸を摑まれ、漫画で二次創作もしました。原作に忠実ではない部分ばかりですが、いわゆる二次創作らしく、原作に思・い・を・め・ぐ・ら・せ・な・が・ら・描きました。

漫画ではしばしば「キャラクター」が重要だと言われます。二次創作の「めくるめく世界」を描いた当時も、編集者にもそのようにアドバイスされていましたが、「キャラクター」というものを自分の中に落とし込んで描くことが、なかなかできませんでした。

それで敢えて、主人公を最後の最後まで登場させない、というような、キャラクター中心主義と真逆の表現をやってみたんです。本作は商業出版もされていないし、広く読まれたわけではありませんが、自分なりに一つ、「行き着いた」という手応えがありました。キャラクターとはどういうものなのかが、見えるきっかけになったんです。つまり、作者である自分の身体感覚と、物語が向かおうとする方向が重なっていれば、読者には臨場感を与えられるし、キャラクターも突き詰めれば、その読書体験のために「重要」とされるのだから、自分の感覚に正確に重なるよう物語や人物を動かすことで、結果的に作品に人間性を出せるのではないか、と考えたのだと思います。

小説と漫画とで求められるエンタメ度は変わりますが、アレナスはかなり人を楽しませようとしていたと思います。難解で、誰にもわからない作品を良しとしたのではなく、ある意味、檄文として「これが面白い小説だと教えてやろう!」という意識で書いていたんじゃないのかな。

私の漫画でも彼のように政治的な題材も取り扱いますが、政治的なもの=読みにくいものとは捉えていません。彼のように、自分が面白いと思うものを詰め込む、それが創作者の誠実さだと思っています。

アレナスはゲイで、当時のキューバの体制において同性愛は処罰の対象となりえたので、キューバで生きていた間はずっと逃亡生活を余儀なくされます。その生活については、映画化もされた自伝『夜になる前に』で詳しく語られています。

アレナスとその作家仲間たちは逃亡生活において、没収の危険が大きい長編小説よりも詩を多く書いていたことがうかがえます。作品を発表する、といっても、短い詩のセンテンスを、紙切れ1枚に力を込めて書き付け、仲間内で回し読みしたり、公園で詠み合ったりしていたようです。例えば、サッカーではなくてフットサルのように、小さなフィールドで力を発揮する、小説とは別の競技で腕を磨いていたんじゃないかとイメージしています。そのためか、小説においても一文一文が強烈で、ポエティックです。

本書が二作目の長編だったという著者の技術的な問題のせいか、終盤はだれて、息切れしている印象です。結末に向かうにつれ第1、2章の勢いは失せ、凝った表現も息を潜めます。でもそれはそれで良い。息切れの呼吸——これは漫画ではそこまで目立つものではないと思います。なぜなら漫画は基本的に連載形式で描かれ、一回一回の話が比較的短く、その都度盛り上がりを必要とする作りになりやすいためです。書き下ろしの長編小説では、著者が息切れしている時は読者も息切れして、お互いに呼吸を合わせるような瞬間がある気がしますよね。

例えば町田康の『宿屋めぐり』(2008年)。先日買い直しました。町田康であってもこの分量がずっと同じ面白さとは言い切れなくて、間の150ページぐらい、話の筋とはほとんど関係なく、大阪(らしき土地)で芸人をやる長いくだりが挿入されています。正直、あまりの長さに「良い加減にしろ!」と言いたくなるんですが(笑)、それを読み切る快感がありました。こんなふうに読者を付き合わせるのが、小説の良いところですね。

村上春樹だって、長編ではだれていることがありますよね。あれほどポピュラリティのある小説でもそうなので、読むうちに疲れてまどろんでくる、というところも、小説の一つの魅力として大衆に受け入れられてるんじゃないでしょうか。まさに本書の原題にある「Alcinante=幻想」的な体験として。

本書におけるマジックリアリズム表現も、私には重要な発見でした。拙著『バクちゃん』(2020年)は「SF」という体をとっていますが、私としてはマジックリアリズムなんです。

星野智幸の『ファンタジスタ』(2003年)文庫版の解説で、いとうせいこうがマジックリアリズムをこう定義しています。「”マジック”と”リアリズム”のどちらがより虚偽的か、決定不能にしてしまう手並みを指すというべきだろう」。

小説表現におけるマジックリアリズムと自由度の高さは、私に創作の可能性を感じさせてくれました。

アレナスはプライベートでも結構な噓つきだったかもしれません。小説はもちろん、自伝の中にも、噓や過剰な誇張表現が頻出します。Aを語ったすぐ後にAは噓だった、と語り、さらに次の場面ではしれっと、Aが噓でなかったという前提で話が始まる。読者がそれを飲み込み、楽しめるのは、純粋に技術の高さもあるでしょうが、噓による「飛び越え」が成立している、ということだと思います。「噓」を文学の手法の一つとして利用することで、視覚的に現前していたとしたら矛盾に溢れ起こり得ないようなできごとも、物語として推進できる。つまり彼の人生の捉え方、ひいては作家としての「やり口」が、しっかりと表現に落とし込まれているからではないでしょうか。

「赤毛のアン」がわかりやすい例です。孤児のアンが空想を喋る、つまり想像力を使うことで、にっちもさっちもいかない現実と自分の世界とを橋渡ししています。アレナスの人生と噓や誇張の多い小説表現とは、深くリンクしているように思えてならないのです。

なんでこんな噓をつくんだろう、誇張するんだろうと考えてみると、政治体制のような、個人にはどうにも変えられないものに迫害を受けていることへの怒りを感じますし、そうしたどうしようもない現実は、フィクション、噓を語ることによって、揺るがすことができ、対処し、走り抜けることができると、信じていたからだと思います。

インタビュー・まとめ 編集部

(了)

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