
小説と漫画、交点と差異
町屋良平
現在においてマンガというのは世代論と心中するような文化だと思う。いまの二十代が『ドラゴンボール』を読んでいないように、私は『魁!!男塾』を読んでいない。エンターテインメント小説に比べてもその傾向は顕著であるようにおもう。私は三十代序盤の作家に、『アイシールド21』と『金色のガッシュ』が自分たちの共通言語ですと言われて驚いた。『アイシールド21』に関しては読んでいたが、じつは冒頭以外の内容をサッパリ

視力が悪い。数年前、眼医者さんで教えてもらった時は、0.07とか、0.05くらいと言われた。小学校三年生の時に急に下がった。それまで両目ともに2.0あったのが、0.1もないと小学校の検査で発覚した。視力が悪くなるとはどういうことなのか、当時の私はちゃんとわかっていなかった。検査結果を持って家に帰ったら、両親がひどく慌て、どれだけ良くないことなのかということを繰り返し説明され、十分過ぎるほど理解した私は、泣いた。(その後、眼科に行き、0.4くらいだと判明した。)それ以降、視力が悪くなることに対し、尋常ではない恐怖を持っている。では、急に視力が悪くなった原因は何なのか。それは、漫画を読むことである。
小学校二年生くらいの頃から、「りぼん」「なかよし」「コロコロコミック」を何度も繰り返し読むようになった。視力はどんどん悪くなり、読むのを控えなくてはいけないと思うのに、漫画があまりに面白く、まだ心が幼い私はあらがえなかった。目が悪くなる、目が悪くなるとわかっているのに読んだ。中学に上がる頃には「ジャンプ」「サンデー」にはまった。それだけではない、活動範囲が広がり、古本屋で何時間も単行本を立ち読みしては、気に入った作品があるとなけなしのお金で買った。視力が立ち直ることはなく、その原因は全て自分であるにもかかわらず、今でも眼科に行く前日は眠れないくらいの恐怖を抱えることになった。
『ふしぎ遊戯』『鋼の錬金術師』『銀魂』『姉の結婚』『僕と彼女の×××』『BASARA』などなど、途中で買うのをやめてしまったものも多いが、気が付けば漫画に手をのばす生活をしていた。大人になってからも読んでいる。そうであるのだから、漫画から影響を受け、それが自分の書く小説にあらわれていてもおかしくない。はずなのだが、どうにもこうにも自分の小説に今まで読んできた漫画の影響を自分で見つけられない。
思い返せば、小説にもその傾向がある。もちろん小説を書いているのだから、それまで読んできた小説から影響を受けているのは当たり前である。自分でも、読んできた小説の影響を見つけることは出来るし、無意識となってくるともっと見つかるだろう。ただ、自分が当初書きたいと思っていた小説と実際に書き上がった小説が、どうもジャンルのようなものが違うように思える。
編集者さんたちに、どんな小説を書きたいですかと聞かれることがある。「ハートフルな小説が書きたいです! 透明感があるようなものや、ユーモアがあるようなものです!」と答えると、大概爆笑が返事として返ってくる。四、五人に聞かれているが、どの編集者さんも爆笑でもって返事をしてくれる。私としては、受けをねらったわけではなく、心からそう思っている。ただ、書き上がった物は、自分で言うのもなんだが、暗く、ねっとりとしていて、重い。
おかしい話だと思う。私は視力を悪くしてまで漫画を読み、友情、努力、勝利など、前向きなことを学んだはずなのだ。恋愛の話だって、花とゆめコミックスから大量に甘酸っぱさを吸引してきた。そうであるのに、私の小説に恋愛はあまり出て来ず、それっぽいものが出てきたとしても、恋愛からはほど遠い・・・・・・
そんな私ではあるが、忘れられない台詞がある。『GS美神 極楽大作戦‼︎』の11巻に収録されている。まず、GS美神をみなさんはご存じだろうか? 私くらいの年齢、四十歳前後であったのなら、サンデーに連載されていたのを読んだり、テレビアニメで放映されていたのを見た人も多いと思うが、それ以降になると、同じ作者さんの作品なら『絶対可憐チルドレン』の方がよく知られているかもしれない。調べたら、GS美神は1991年から1999年まで「少年サンデー」に連載されていた。悪霊退治を生業にする、ゴーストスイーパーの美神令子が主人公で、彼女の助手の横島忠夫と幽霊のおキヌちゃんたちがさまざまな依頼などに立ち向かう(金儲けをする?)物語である。
その中で、横島が国家試験であるゴーストスイーパー資格試験を受けることになる。試験は、受験者が一対一で戦う対決方式である。横島は、彼がいつも身につけているバンダナに心眼を与えられ一試合ずつを乗り越えていくが、相手の攻撃によってバンダナ(心眼)が亡くなってしまう。バンダナは消え去る直前に横島に向かって「きっかけは私というアイテムだが、これまで行ってきたおぬしの戦いは、すべておぬしの実力でもある…!」「自分を信じろ!! そうすれば必ず勝てる…!」と声をかける。横島はシリアスな表情になり、「自分を…」「信じる…!?」と言ってから、「きれいごとぬかしてんじゃねーーーっ!! この世に自分ほど信じられんものがほかにあるかあああっ!!」と叫ぶ。
私は、この台詞を読んだ時にものすごく納得した。小さい頃だったけれど、はっ、と心を打たれたこともちゃんと覚えている。それまで、主人公たちは努力し、自分を信じて進む物語が多かった。けれど、実際に自分がその立場になってみると、全然自分なんて信用できないのである。
何か努力した結果を出さなければいけない時がある、試験時、発表を行う時、仕事でミスが許されない時など、そんな時には必ず頭の中に横島の叫びが流れる。
最近、私の中でその最たるものがゲラの見直しである。小説を書き上げるまでに、私の場合は何度も書き直しを行う。〈了〉にたどり着くまでにまず何度も書き直し、〈了〉を打ってからも書き直し、担当編集者さんに見せてからも書き直す。何度も書き直した結果ゲラになったのなら、もう書き直しは必要ないはずである。しかし、見直していると出るわ出るわ、矛盾点、滑らかではない文章、繰り返しになっているところ、読んだ時にしっくりこない文、使い方が間違っている単語、等々。直しては読み、直しては読み、締切ギリギリに提出したとしても、再校ゲラがまた届く。この時に、またおかしなところが必ず見つかるのである……エンドレス。
努力(見直し)したはずなのだ。それなのに、絶対に見つかる。再校ゲラの見直しをしながら、締切時刻が近づいてくると、もう泣きそうになってくる。それまで努力(見直し)をしたのだから、自分を信じて……!! なんて、ぜんっっっぜんならない!! 心の中で横島忠夫が叫びまくる。実際、私は口に出している。
「この世に自分ほど信じられないものはない! だって現に今、間違えとるの見つけたんやしっ!」
私は、小説の作風などにおいては漫画の影響を自覚的には見つけられないのだけれど、ゲラの見直しの時に、横島忠夫の影響を受けている。
〈了〉

小説と漫画、交点と差異
町屋良平
現在においてマンガというのは世代論と心中するような文化だと思う。いまの二十代が『ドラゴンボール』を読んでいないように、私は『魁!!男塾』を読んでいない。エンターテインメント小説に比べてもその傾向は顕著であるようにおもう。私は三十代序盤の作家に、『アイシールド21』と『金色のガッシュ』が自分たちの共通言語ですと言われて驚いた。『アイシールド21』に関しては読んでいたが、じつは冒頭以外の内容をサッパリ

連載
漫画は「生じる」もの
長嶋有
大江健三郎さんと二〇〇七年に対談した際、漫画の話をした。この対談は公開の場で行われたもので、活字にもなっている(『大江健三郎賞8年の軌跡 「文学の言葉」を恢復させる』講談社刊)のでよければ参照してもらいたいが、ここで二人が語っている漫画は『PEANUTS』と『パタリロ!』だ。 谷川俊太郎が邦訳した前者はともかく、いかな大ヒットマンガとはいえ後者の方は、大江さんとの限られた時間の対談で話し合う「漫画

つげ義春対談 無意味という豊かさ
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異能の漫画家、つげ義春。解釈を拒み続ける不朽の問題作『ねじ式』を筆頭に、その唯一無二の世界観が、いまなお世界を魅了しています。つげ義春は、いったい何を描いたのか。つげ作品を愛してやまない作家の町田康さんと又吉直樹さんが、つげ義春の底知れぬ魅力と創作の真髄を解き明かします。 司会・聞き手:渡辺祐真 ── 今年2026年、つげ義春さんは惜しくもこの世を去られました。つげさんを取り上げるにあたり、まっ