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Cover Illustration: ©Shishi YamazakiCharacter Illustration: ©DAISUKE KONDO

女優・三田佳子のサーガ
#映画論#DIVA#スキャンダル
対談2026/09/17

DIVAする映画

女優・三田佳子のサーガ

五所純子ゆっきゅん

「女優! 女優! 女優! 勝つか負けるかよ!」

五所  第2回目は女優、三田佳子について話したいんです。

ゆっきゅん 今回見返して気づきましたが、五所さんって三田さんに顔が似てますよね。

五所 ええっ、はじめて言われた。私、似てると言われたことあるのは、キムタクくらいで・・・・・・(笑)。

ゆっきゅん  えっ、キムタク! かっこいい。 実は私、この『Wの悲劇』(84 年、澤井信一郎監督)はことあるごとに何度も観てきた映画なんです。薬師丸ひろ子演じる新人女優、三田静香が主人公なんですけど、この映画のなかで誰がDIVAかといえば三田佳子演じる大女優、羽鳥翔ですよね。初々しい研究生の薬師丸を女優として覚醒させるのが、堂々とした振る舞いで大胆な提案を仕掛けるベテラン女優DIVAの三田佳子なんです。

まず、DIVA映画の条件のひとつは「モノマネしたくなるかどうか?」ですよ。この映画の三田佳子なら「女優! 女優! 女優! 勝つか負けるかよ!」、薬師丸ひろ子なら「顔ぶたないで! 私女優なんだから!!」とかキャッチーなセリフがある。こういう名ゼリフは当然、口にしたくなりますね。でも、それだけではDIVA映画とするには足りないと思うんです。ただの名ゼリフなら、心に残しておいたり、自分の声で唱えるだけで十分です。きっとDIVA映画には、大袈裟な佇まいや声色を含めてモノマネしたくなる、そんなポイントがあるんですよ。

五所  「モノマネしたくなる」って、何を刺激されてるんだろう。

ゆっきゅん  たとえばアイドルが「特技はモノマネです」とか言ってモノマネをやるときって、芸人が開発したモノマネをなぞることが多いですよね。誰かが一度モノマネをすると、本人(元ネタ)の特徴の構成要素が分解され可視化され、さらに誇張されてわかりやすくなった「デフォルメの前例」ができる。それをなぞればモノマネが容易になる。

『Wの悲劇』って、女優が女優のカリカチュアを演じている映画、女優が女優のモノマネをして「デフォルメの前提」を見せてくれる映画でもあるから、モノマネしやすいし、したくなるんです。もはや誘われる感じ・・・・・・。

映画『エゴイスト』(23年、松永大司監督)でも『Wの悲劇』のゲイ人気への言及がありましたが、理由のひとつはそこにあると思います。『極妻』でも極道の妻の威厳を自己演出する元女優を三田佳子が演じる。女優を女優が演じている。だからこそモノマネ欲求を刺激されるんです。

淫靡でアクティブな女優たち

五所  なるほど、型があるとなぞりたくなるんですね。

ゆっきゅん  『Wの悲劇』は、アメリカの女優映画の名作『サンセット大通り』(50年、ビリー・ワイルダー監督)、『イヴの総て』(50年、ジョセフ・L・マンキーウィッツ監督)の日本版という趣がありますよね。

五所   『イヴの総て』は、ベティ・デイヴィス演じるベテラン大女優とアン・バクスター演じる野心旺盛な若手の女優の物語で、『Wの悲劇』と人物配置はだいたい一緒。むかし、歌手のマドンナが「女は頭を使うべきか、体を使うべきか」と問われて、「その質問はまちがってる。女はどっちも使うのよ」と答えた・・・・・・という出所不明のエピソードを聞いたことがありますが、アン・バクスターは頭も体もなんでも使ってのしあがろうとする。ベテラン大女優はそれを訝しがって敬遠していく。

一方、『Wの悲劇』の三田佳子は、けっこうまっすぐに薬師丸ひろ子を応援してるんですよね。薬師丸ひろ子の秘めた情熱を目撃してしまった三田佳子は、その一途さに共感して1万円札を渡して支援もする。『イヴの総て』は世代の異なる女優を正面から対立させてドラマをつくってるけど、『Wの悲劇』のほうはもうちょっと複雑ですよね。だからこそ、腹上死のスキャンダルを、淫靡なかたちで世間への大芝居にスライドさせられる。

ゆっきゅん  『サンセット大通り』でグロリア・スワンソンが演じる女優は50歳なんですよね。サイレント時代に活躍した大女優が没落して隠居しているという設定。いま見ると、もっと上の年齢の役に感じます。

五所 いまなら75歳ぐらいの老いた感じ。古びた洋館に住んでいて、本人だけでなく、屋敷ごと「すでに終わってしまったもの」として扱われてる。実際にグロリア・スワンソンはサイレント期の女優で、現実でも『サンセット大通り』以前はしばらく映画に出てなかった。現実のスター女優のイメージがこの役には投影されていて、「時代に取り残された人」として描かれてる。女優の役者生命は男優より短いことが示されたうえで、女優であることにこだわり続けるグロリア・スワンソンの妄執が、周囲に同情され、不気味がられている。

ゆっきゅん  過去の栄光が忘れられずおかしくなっちゃって、腫れ物扱いされているイタい存在という描かれ方ですよね。彼女の自信の一つでもあるファンレターは実は執事が書いているもので、周囲の人たちが芝居を打って、彼女を彼女が見ている妄想世界のなかに閉じ込めて守ってあげようとしている。だけど、彼女は重大な罪を犯して報道陣に囲まれる。そのとき報道陣のカメラを、スター女優としての自分に向けられているカメラと誤解して喜んでしまう、という切ない場面もあって。

五所 そのイタさは、わたしたちがスター女優を愛した代償かもしれないとも思わせられる。彼女が逮捕される場面では、元映画監督の執事がハリウッドから撮影機材を借りてきて、部屋のなかに照明をたいて擬似撮影現場をつくる。そのなかで彼女はレッドカーペットを歩いて、自分は注目を浴びてるスターであると思いこんだまま、刑務所へ向かっていく。

『サンセット大通り』は、老いたスター女優にまとわりつく怪物性を描いた作品だけど、『Wの悲劇』の女優たちはもっとアクティブだよね。生き延びるために世間に向かって大芝居を打つ、という現役感バリバリな物語になってる。ホテルの客室も記者会見も、彼女たちにとっては舞台。負い目になるはずの出来事さえ、隠すんじゃなくて、むしろチャンスに変えようとする。

恐怖のキャスティング

ゆっきゅん  物語のターニングポイントになるのが、ホテルの客室での三田佳子と薬師丸ひろ子の取引。ちょうど映画の中間、折り返し地点で起こるんですよね。端役とプロンプターの薬師丸が三田佳子に呼び出される。

五所 三田佳子のパトロンである仲谷昇が腹上死する。すると、三田佳子は薬師丸ひろ子に「身代わりになってほしい」と話をもちかける。一点の曇りもなく、保身ですね(笑)。三田佳子はそれと引き換えに、次の舞台のW主演の座を薬師丸ひろ子に約束する。とんでもない提案だけど、こうしてふたりは世間に対して大芝居を打つ。

ゆっきゅん  本当にヒドいフックアップ。明らかな違法行為なのに(笑)。

五所 まぁ、死体遺棄罪ですよね(笑)。

ゆっきゅん 三田佳子のなかでは、パトロンが死んで「どうしよう!?」となった時点で、すでにシナリオが浮かんでいるんですよね。世間にこの話題を出すシナリオも、この部屋で薬師丸を説得するシナリオも。「チャンスよ」という勢いで薬師丸ひろ子に話を持ちかける。「スキャンダルを逆手に取るの!」と。薬師丸ひろ子は最初は目をまん丸にして、何を言われているのか理解できない、という感じの顔をする。そこから「こんな機会、ない」「やるしかない」と三田佳子の勢いに押されていく。三田佳子の博打打ちのような芝居の迫力もすごいけど、薬師丸ひろ子の芝居にも迫力が出始める。

五所 ちょっと待って! 今日はその話をしたかったんです! 三田佳子は自分のシナリオに沿って薬師丸ひろ子に演技をつけます。そう、三田佳子はここで演出家になったんです。だけど、この「劇団W女優」はうまくいかなくて・・・・・・。かくして5年後、三田佳子は『極道の妻たち 三代目姐』(89年、降旗康男監督)で「劇団ヤクザ」をつくったんですよ。

ゆっきゅん 劇団ヤクザ(笑)。いま、鳥肌が立ちました。作品を飛び越えて三田佳子の物語が続いていると。

五所 そう。『三代目姐』は、元女優が演出家になる話だと思うんですよね。現に、本作の三田佳子は「元女優」という設定です。

ゆっきゅん 『極妻』を初めて見て驚いたのは、三田佳子の設定が「元女優」ってところでした。

五所 ヤクザ映画の設定としておかしくない? 「元教師」「元看護師」とかでもいいのに、わざわざ「元女優」。嵯峨美智子みたいなことなのかな・・・・・・。いえ、これは『Wの悲劇からの三田佳子サーガ(仮想一代記)の続きとしか思えません!

『三代目姐』の舞台は兵庫県。三田佳子は元宝塚劇団の女優で、ラインダンスもやっていたと語られます。

もうひとつ、『Wの悲劇』と『三代目姐』の共通点は、三田佳子にホテルの客室へ呼び出されたらヤバい!

ゆっきゅん 三田佳子がホテルに人を呼ぶときは、腹の中に相手を巻き込むシナリオができている。ってたしかに怖い!

五所 怖いですよ。ホテルに呼び出された時点で、その人はすでに演出家兼シナリオライターの三田佳子にキャスティングされちゃってるんだから(笑)。

新人女優が大女優を打ちのめす

ゆっきゅん もうひとつの「スゴ芝居」の場面は記者会見のシーンですよね。

五所 スゴ芝居???

ゆっきゅん 凄味のある芝居。ホテルの一室で三田佳子がスゴ芝居を打つんだけど、そのあと、薬師丸ひろ子が記者会見でスゴ芝居を打つ。

五所 うん、たしかにあれはスゴ芝居。

ゆっきゅん あの記者会見って、完全に舞台ですよね。そこで薬師丸ひろ子は女優になるんだと思う。舞台に立って、自分がやりたかった役を演じるときよりも、罪を着せられることを引き受けたときよりも、記者会見でしゃべり始めた瞬間のほうが、薬師丸ひろ子が女優として立ち上がった感じがする。

五所 女優が「自分役」として語りはじめた瞬間ですよね。あの直前に、三田佳子が高木美保演じる若手女優を罵倒する場面がありますよね。三田佳子は薬師丸ひろ子に役を回すために、高木美保に難癖をつけて役から降ろす。そこで三田佳子は「この子ね、〈本当〉と〈本当らしく〉がちっともわかってないのよ!」と言う。この言葉は、高木美保の後ろでうつむいてる薬師丸ひろ子への女優指南ですよね。薬師丸ひろ子は、その教えを記者会見で実践する。〈本当〉のことを話すのではなく、〈本当らしく〉ある自分をつくっていく。

ゆっきゅん 元々、本当のことは薬師丸ひろ子にはないですからね。無実なのに噓をつくことを決めたわけですから。そしてフィクションを上演する舞台ではなく、本来ノンフィクションの事実を打ち明ける場所である記者会見で、〈本当らしい〉噓が生き生きと動き出していく。

五所 最初は記者たちからの質問に答えているだけなんだよね。しかも話すのは、三田佳子から借用したエピソード。「チケットを買ってもらった」「洋服をプレゼントされた」って、これは三田佳子が体験して、薬師丸ひろ子に教えこんだ口立てセリフみたいなもの。でも、一度口にした言葉が、べつの言葉を連れてくる。ついた噓が新たな噓を呼んで、その連鎖は雪だるま式に膨らんで、実在しない「もうひとつの現実」をつくりだしていく。

ゆっきゅん 聞かれていないこと、言わなくていいことまで喋り始めるんですよね。それは、薬師丸ひろ子がなにかを演じることの楽しみに目覚める瞬間でもあり、「自分を見ているもう一人の自分」との関係が変わる瞬間でもある。この映画って「もう一人の自分とどう付き合うか」という話でもありますね。薬師丸ひろ子と関わるある俳優は、もう一人の自分がつらくて演技を続けられなかったと話す。対して薬師丸ひろ子は、厄介な「もう一人の自分」を消すのではなく、それと付き合っていくことにする。ここではじめて、演じることを楽しむ自分が生まれたってことですよね。

五所 この記者会見の演出家であり、シナリオライター兼キャスティングディレクターは、三田佳子だった。でも、演じることを楽しみはじめた薬師丸ひろ子の芝居が、その思惑を凌駕してしまう。三田佳子が書いたシナリオでは、三田の罪深さを薬師丸ひろ子が引き受けるはずだった。でも薬師丸ひろ子は、その罪さえ演技の材料にして、シナリオからはみだしていく。しまいには、三田佳子がもっとも得意としてきた大芝居さえ奪ってしまう。

ゆっきゅん 記者会見を見た三田佳子が打ちのめされるのは、薬師丸ひろ子がうまく噓をついたからだけではなくて、自分より優れた芝居を世間にみせてしまったからですね。

五所 そこが『イヴの総て』との違いだと思う。『イヴの総て』では、若い女優は野心と策略でのし上がる。でも、芝居そのものでベテラン女優を超えたとは描かれない。

ゆっきゅん あれは若い女優が勝ったというより、成り上がったという印象ですよね。

五所  『Wの悲劇』では、若手女優が大女優の得意技を受け継ぎ、その技によって本人を超えていく。この逆転劇に、『Wの悲劇』なりの『イヴの総て』への意趣返しがあると思う。

ゆっきゅん 記者会見の最後に、薬師丸ひろ子に向かって焚かれる記者たちのカメラのフラッシュとシャッター音は拍手喝采なんですよね。

五所 まさに! 見られる「客体」としての女優が誕生したことへの喝采だよね。

元女優の極道の妻

五所  『Wの悲劇』のラストで気になるのは、薬師丸ひろ子のその後の兆しは描かれるけど、三田佳子のその後が一切わからないこと。このDIVA、どうなっちゃうの? って思う。だって、ふたりがやったことが世間に明らかになって、死体遺棄のみならず、薬師丸ひろ子への強要罪だって問われかねない。普通に考えたら、女優生命は一度絶たれる。

そこで先ほどもお話ししたとおり、三田佳子の後日談は、『極道の妻たち 三代目姐』なんじゃないかと私は思うんですよ。『Wの悲劇』の三田佳子には、腹上死したパトロンの中谷昇がいた。そして『Wの悲劇』のあと、女優生命が絶たれた三田佳子を身請けしたパトロンが、『三代目姐』の三代目坂西組組長の丹波哲郎だったんじゃないかな。

『Wの悲劇』の三田佳子は、観客に見られる「客体」として生きている。観客が見たいと思う女を演じ、その視線を集め続けることで生き抜いている。『三代目姐』になると、それが少し変わる。睨みを利かせたり、壮麗な和服を着たりしながら、自分の威厳をみずから組み立てていく。「客体」でいることは変わらないけど、「見られる」ことを権力を動かすものとして使いはじめる。だから、ここは「半主体」になるんです。

ゆっきゅん 序盤から三田佳子をたくさんの報道陣が取り囲む。やっぱりここでも報道陣。これってDIVAをDIVAたらしめる大事なシチュエーションですよね。詰め寄る報道陣のなかを歩くのが、DIVA仕草。

下村一喜さんという日本一のDIVAフォトグラファーがいて『ヘルタースケルター』(12年、蜷川実花監督)にクセつよカメラマン役で出演もしている方です。下村さんはあゆ(浜崎あゆみ)のMVをいくつも監督しているんですが、そこにはDIVAしぐさが詰まっていて。

『GREEN』のMVで中国の街のオープンセットのなかをあゆが歩くんですね。街中が混雑しているわけじゃないのに、あゆの周りだけ、行き交う人が密集している。そのぶつかりおじさんみたいな人々を、不自然に避ける。わざとらしく他人を振り払うように歩くんです。つまり、混雑を作ってわざわざ「構わないで」といった様子を見せるのが、DIVAしぐさなんです。ブリトニー・スピアーズ『Everytime』のMVなどにも見られますね。『極妻』でもそれがまず観れて「DIVA映画が始まったな!」と感じました。

私は今回『極道の妻たち』シリーズをはじめて観たんですけど、画作りやセットにもDIVA趣味が横溢しているんですね。建物にスペーシーな窓があったり、インテリアに黒豹ややたら大きな動物のオブジェがあったり、萩原健一演じる赤松との密会場面で時計や指輪のキラキラした輝きが強調されていたり、夜景に車のヘッドライトがキラっとしていたり、画が派手好きな感じがすごくよくて。

五所 余談ですが、あのキラキラを見てると、日本画を思い出すんです。日本画って、金箔や岩絵具のせいか、絵そのものがボワッと発光してるように見える。日本なりの「発光して見えるもの」の系譜があるように思うんだけど、それが今なお元気なのは、美術館じゃなくて、パチンコ店とか祭りとかネオン街のほう。螺鈿、蒔絵、ラメ、スパンコール、ラインストーン、金歯、メッキ、デコトラ、ブリンブリンとかですね。あゆを間に置くと、DIVAとヤンキーやヤクザって意外と近いんじゃないかな。「どう目立つか」というよりも、「どう背景にならずにいるか」っていう身構えが似てる気がする。

『極妻』は切ない恋愛映画

五所 三田佳子は、夫の三代目坂西組組長が死にかけてるなか、組を相続することになる。「劇団ヤクザ」の演出家として、みずから振る舞い、組を率いていかなくてはいけない。そこに、長年ひそかに恋心を温めていた、赤松が出所してくる。

ゆっきゅん そのとき、ホテルの客室でのシーンが登場するんですよね。今度も三田佳子は演出家兼シナリオライター兼キャスティングディレクターとして振る舞う。今回キャスティングされたのはショーケン(萩原健一)。この映画って「ショーケンモテモテ映画」なんですよね。

五所 ショーケンは三田佳子とのホテルのシーンのあと、かたせ梨乃と、かたせ梨乃が経営するクラブ「ROSE TATTOO」で働いている吉川十和子にやたらと血気盛んになる。

ゆっきゅん 女性の誘いに応じかけて応じないことを繰り返して、相手を傷つける。女の願いを反故にすることによって、自分のなかの仁義を成立させているみたいな、卑怯な男って感じです。

五所 ショーケン演じる赤松の魅力の源泉が描かれてないから、なんでモテてるのかいまひとつ謎だよね(笑)。女たちが赤松に強姦されると惚れてしまうというのも謎すぎて、あれはいただけない。赤松は「劇団ヤクザ」の役を演じきれない人だから、それが魅力なのか・・・・・・。

ゆっきゅん で、ホテルのシーンの話に戻るんですけど、あのシーンで三田佳子はド派手な真っ赤なドレスを着て、ショーケンにロマネコンティを勧めて「いまなあ、わて、蝶とか鳥みたいにフワフワしてええ気分なんや」って言うんですけど、あんなのは酔っているふりをしているだけで、全然酔ってないと思うんですよ。「ほんまにホッとしてるのや、20年のおっきい重しとれて」と夫が死んだことをアピールして、好きだったショーケンに抱き縋る。ショーケンは「姐さん、疲れてんのとちゃいまっか」と立場を崩さないまま「外国でも行ったらどうでっしゃろ、わし、お供します」と提案する。三田佳子は「いっそ行こか、外国へ」「だあれも私のこと知らへんし、普通の女で生きていけるしな」と言う。なんか芸能人の抱える切なさみたいでいいんですよ。このシーンを観て「ああ『極妻』って恋愛映画なんだなあ」と理解したんです。

五所 あそこ、ふたりの立ち居振る舞いがすごく不自然ですよね。

ゆっきゅん あのシチュエーションに至るまでに三田佳子は何パターンもシナリオを考えたと思うんですよ。最高のシナリオと最悪のシナリオ。それに赤松がこう応じたらこう応じようみたいな、分岐型シナリオを。で、思いを伝えること自体惨めだけど言うしかない、と勇気を出した三田佳子が息を荒くしてショーケンに大芝居を打つ。「テッチャン、わて抱いてくれへんか、わて、この場で抱いてほしいんや、あと1日経ったら、こんなこと言えんようになる・・・・・・いまだからなんでも言える! あんた・・・・・・わてのこと、好きやろ?  わてかてあんたのこと好きや」って。でも、ショーケンは感情を嚙み潰したような表情をしたまま動かない。三田佳子は「どないしたん!」と大声を出して気を引いた上で、「わてかてオナゴやで!」と叫ぶ。片方だけが素直になっても、一緒になれるわけじゃない。ショーケンがその場で抱いてくれないとわかると三田佳子は「あんたの気持ちわかって、淋しさ消えた」って言う。ショーケンが「姐さん、あんたワシをからかってるんでっか」と言うと三田佳子は「そう取るなら取り!」と返す。

明らかにお互い好きなんだけど、抱き合えないのが切なくて。それぞれに立場があって、完全にプライベートな関係になれない人たちの悲しみっていうか。クィア映画とかでもよくありますね。この前『天才画家ダリ 愛と激情の青春』で似たような葛藤を見ました。片方が同性愛嫌悪を内面化していて関係を持つことができないけど愛し合っている二人、みたいな、自分自身にさえクローゼットでいるゲイの悲しみみたいな。飛躍しますけどそんなのを思い出しました。

五所 『三代目姐』でもまた、三田佳子の企んだ演出は破られてしまう。私、三田佳子ってとんでもないお芝居をする女優さんだなと思ったのが、ショーケンを誘うあのシーンがいちばん色気がないんです。三田佳子は出窓に腰かけて、半ば足を開く。「どうぞ私に入ってきなさい」という形をつくるんだけど、脚の開き方といい角度といい、大根がぶら下がってるみたいなんです。三田佳子って、演技が下手だという評判もあったと聞きますけど、それを逆手にとったような演技ですね。もっともセクシュアルな場面で、もっともセクシーでない演じ方をしてる。スゴいと思った。

ゆっきゅん でも、もしかしたら好きな人の前で不自然になっちゃう、みたいなすごく素朴な心を演じていたりして。ナイーブすぎるか。

五所 ああ、そうか(笑)。だとしたら、彼女にとっては、色気もまた冷徹に行使する武器なのかもしれないね。私も今回はじめて『極妻』シリーズを見たんですけど、他の姐たち——岩下志麻、かたせ梨乃、十朱幸代、高島礼子も、男たちに睨みを利かせて、男たちと権力闘争をするなかで、色気を武器に使ってるんですね。ただし、そのときにちゃんと色っぽい。第一作目『極道の妻たち』(86年、五社英雄監督)主演の岩下志麻なんて、成田三樹夫と渡り合うための色気も、佐藤慶を見つめるときの色気も、ちゃんとセクシーに演じている。三田佳子が特異なのは、色気が組織運営や権力闘争の武器になりうることと、同時に、恋愛感情や性的欲求から色気が生まれるとは限らない。色気は性愛だけでは説明しきれないことまで、表現してしまったところにあるかもしれない。

DIVAはゆっくり歩く

ゆっきゅん もうひとつ『極道の妻たち 三代目姐』ですごいなと思ったのは、三田佳子をはじめ極道の妻たちが全員、ゆっくり歩くところ。DIVAって歌っていなくても踊っていなくてもいい。じゃあ何でDIVA性を示せるのか?

私は今年、コーチェラのサブリナ・カーペンターのステージにゲストでマドンナが登場して、ダンサーもなく二人だけで花道を堂々と歩いている姿を見て「DIVAか否かって歩行でこそバレるものなんじゃないか?」と発見したんです。マドンナはもう67歳。膝を壊して前のようには踊れない。いや、普通の67歳より信じられないほど踊れてるんですけどね。そのマドンナが、踊らずにただ堂々と歩く。歩くだけで風格を出す。歩くだけで私が私だとわからせる。その姿をみて「DIVAってこれだ!」と思った。焦っていたり、余裕がない人はDIVAにみえない。『Wの悲劇』の三田佳子は長年女優をしてきたオーラが自然と出ている。だけど『極道の妻たち』では、三田佳子だけでなく周囲も含めて、貫禄や威厳を自ら演出していかなきゃいけない。だからゆっくり歩いて「極道の妻たち」を演じているんですよね。焦っているところは絶対にみせられない。これはクロード・シャブロルの『女鹿』について、五所さんが語っていたことにも通ずるのでは、と感じました。

五所 フランスのクロード・シャブロルの映画にはステファーヌ・オードランがブルジョワジーの女性を演じた作品がいくつかあるんだけど、『女鹿』(68年)が顕著で、彼女が「ゆっくり歩いて、ぼんやり話す」ことでブルジョワジーの世界がつくられているんですよね。それは『主婦マリーがしたこと』(88年)、『沈黙の女/ロウフィールド館の惨劇』(95年)とか、イザベル・ユペール演じる庶民の女が駆けまわる世界とは、ちょうど対照的なんです。

ゆっきゅん ゆっくり歩いていた三田佳子が、恋心を抱いていたショーケンが死んだときだけ、それまでの威厳を捨てて、病室まで走る。走るのは映画の中で、その場面だけ。

五所  『Wの悲劇』のときの三田佳子は女優だったから、感情とか欲望をそのまま表出することができた。薬師丸ひろ子に演技力で喰われた驚きを、三田村邦彦に対してとうとうと語ることさえできた。だけど『三代目姐』になると、「亡き組長の妻、そして相続人」の坂西葉月として、権力闘争に身を投じる。「劇団ヤクザ」の男たちと渡り合うために、睨みを利かせ、感情を抑制して、自分がどのような権力をもつ女なのか、そのイメージをみずから組み立てることに専念してる。だけど、ショーケンが死んだことを聞きつけたとき、ゆっくり歩いて威厳を演じていた三田佳子が、はじめて大疾走するんだよね。

ゆっきゅん 明らかに走っちゃいけない感じの病院の廊下を走っていきますからね。三田佳子はずっと和服を着ているんだけど、あのときは洋装なんですよね。

五所 普段は和装で威厳を演じているのに対して、件のラブシーンもしかり、洋装は「ここでは威厳をつくる必要がない」ってことを表している。だから、洋装のときだけ、三田佳子の感情があふれ出る。で、最後の最後に、これも『Wの悲劇』とつながるんだけど、愛する男の遺体に直面する。『Wの悲劇』の仲谷昇の遺体は、自分の部屋からどこかに運び出すものだった。愛する相手への感情もほとんどみせなかった。だけど『三代目姐』のラストでは、三田佳子は感情を決壊させるかのように大疾走し、大号泣しながら遺体にすがりつく。同じ「遺体」でも、その扱いはまるで違う。

ゆっきゅん 強いカタルシスがあるわけじゃないけど、やっとここで『Wの悲劇』では消化不良だった三田佳子のメロドラマが完遂した気がしましたね。三田佳子の行く末が気になっていた私たちは『三代目姐』を観れて、ああ本当によかったなあと思えるんですよね。

フラッシュの喝采を浴びて

五所 最後に・・・・・・だけど三田佳子サーガはそこでは終わらないって話をさせてほしくって!

ゆっきゅん もちろんです!

五所 『Wの悲劇』では「客体」である女優を演じた。『三代目姐』では、夫から受け継いだ「劇団ヤクザ」を背負い、感情を抑えながら、自分のイメージを組み立て、それを使って人を動かしていく。「見られる」側にいながら、「半主体」へ移りはじめた。そして三田佳子は、次に医師免許を取りに行く。もちろん、役の話です(笑)。

私が三田佳子にハマったきっかけは、小学生のころに見ていた連続テレビドラマ『外科医有森冴子』(NTV系、90年・92年)なんです。これは「女の職業シリーズ」第1弾だけど、いまでいう「お仕事ドラマ」とは少し違う。職場のドタバタとか自己成長、人間模様を描くというより、オペ室で感情を排して判断を下しつづける「女医」をまっすぐに描いてた。少なくとも私にはそう見えた。『Wの悲劇』『三代目姐』で遺体を運び、遺体にすがって号泣していた三田佳子が、今度は人を遺体にしないためにメスを握る。『三代目姐』では組織の命運を背負い、『有森冴子』では人の生死を、自分の判断として引き受ける。とんでもない責任を引き受けた「主体」ですよね。もう演出の域を超えてる。だから、私にはこの三作が、「客体」「半主体」「主体」へと至る、ひとつの流れとしてつながっているんです(笑)。ところが、その三田佳子サーガを現実世界が一気にひっくりかえしてしまう出来事が、このあと起こるんですよ。

ゆっきゅん ・・・・・・どういうことですか?

五所 現実のスキャンダル。1998年に次男が逮捕され、そのあとも薬物事件の逮捕がくりかえされる。世間はそれを「子育ての失敗」という物語に回収した。なにをもって「子育てに失敗した」といえるのか、私は疑問にかられるけど、マスコミや世間はそういうシナリオを書いてしまう。すると『三代目姐』で「劇団ヤクザ」で組織運営に失敗したことが、現実では家族や子育ての失敗に重なってしまう。『外科医有森冴子』で責任を引き受ける側にまわった三田佳子に、現実は仕事だけじゃなく家庭のことまで「あなたの責任」として引き受けることを求める。現実が破綻した瞬間、『Wの悲劇』のように、大勢の視線にさらされる「客体」へと送り返されてしまう。私には、このサーガの逆走こそが衝撃的なんです。

ゆっきゅん いまのママタレもキャリアと家庭の両立を求められながら「悪い意味で面白いこと起きろ」みたいな視線を向けられているところがありますよね。「育児をちゃんとしてるか警察」みたいな人がネットで監視の目をずっと向けていて、いつでも炎上させてやろうと狙っている。一個でも悪いことが起きたら悪口言い放題みたいな状況だから。女優へのそういう期待って、いまも根強くあるんだと思います。

五所 うん、「失敗しろ」って待望されてる。そこで思い出すのは、ゆっきゅんが言った『Wの悲劇』の記者会見場面で、マスコミのシャッター音が拍手喝采だという話。

ゆっきゅん ある光景に感動して何度もカメラのシャッターを押すとき、シャッター音は、その光景に対する祝福だなって、あるとき、気づいたんです。これって拍手じゃん、って。『Wの悲劇』を観てそれを思い出したんです。

五所 うん。シャッター音を、キャリアを破壊する音じゃなく、祝福の音に変えてみせよう。『有森冴子』までたどり着いた女が、家庭での失敗を問われ、再び「見られる」側へ戻される。『Wの悲劇』です。でも、逆走の先で待っていたのは同じ「客体」じゃない。失敗した姿まで見たいと渇望される。三田佳子はDIVAへと戻されたんです。

対談まとめ 寺岡裕治
(つづく)

(編集部より)
第三回で取り上げる一部作品は配信中ですので、一ヶ月後の更新に向けてぜひご覧ください。

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五所純子 ゆっきゅん

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#前衛#映画論#遅刻#DIVA