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Cover Illustration: ©Shishi YamazakiCharacter Illustration: ©DAISUKE KONDO

桂花ラーメン本店
#旅#音楽#食
エッセイ2026/09/15

消息 I don't take selfies.

桂花ラーメン本店

小袋成彬

思い立ったが吉日。8月18日から3日間、平日にぽっかり予定が空いたので、熊本を訪れた。Rainbow Disco Club で知り合った熊本の友達と一緒に、カネコアヤノのライブを観に行ったあと、熊本の自然を案内してもらうことになった。

夏の阿蘇は、息を飲むほど美しい。緩やかな上り坂を車で駆け上がり、鬱蒼とした暗い森を抜ける。すると突然パッと視界が開け、野焼きの跡地に現れる広大な草原。まるでWindows98の壁紙のような、この世のものとは思えない絶景だ。

大観峰から見下ろすカルデラ台地は、森と草原の緑が鮮やかな対比を為している。雲の隙間から差し込む太陽光が、まっすぐにふもとの田園へ降り注ぐ。あっぱれ阿蘇の大自然。この感動は、文字では中々伝わらない。

阿蘇には至るところに地下水の湧き出る水源がある。白川水源の川底を覗き込むと、紫色の砂を纏いながら水がボコボコと湧き上がっている。淀みひとつない透き通った水の中を、メダカたちが優雅に泳ぎ回る。木陰に広がる丸い藻の群生は、まるで代官山の高級マンションのようだ。もし生まれ変われるとしたら、私はここのメダカになりたい。

その湧水を、手で掬い上げて飲んでみる。シルクで肌を撫でられたようななめらかさがありながら、飲み込んだ瞬間に包丁で紙をスッと削いだような鋭いキレもある。しかも、その水に触れた部分だけ、肌がサラサラになるのだ。これには大変驚いた。白川水源は、あなたが生きているうちに訪れるべき、人生のチェックポイントだ。

もっとも、私が阿蘇に魅力を感じたのは、人間と自然とが共生している営みそのものだ。阿蘇の山々も、何もしなければ木々が生い茂り、やがて森になるだろう。手付かずの自然が、必ずしも人間にとって優しいとは限らない。だから野焼きによって枯れ草を焼き、害虫を駆除し、牛や馬が暮らせる草原を維持し、自然との調和を図っていく。いわば、阿蘇の風景は人間と自然のコラボアート作品なのだ。そういう営みの中で、人間もまた自然の一部なんだという日本人らしい自然観が、脈々と育まれてきたのだろう。

言うまでもないだろうが、熊本はご飯も美味しい。甘鯛の煮付けや馬刺しなどが、驚くほど安い値段で楽しめる。天保時代に建てられた古民家で食べた天草大王という地鶏もまた、格別だった。ちなみに、その店で隣の席に座っていた60代くらいのハットを被った男が、それはそれは強烈だった。「マッチングアプリを使ってる男は弱い」「女に合わせているから」などと思わず眉をひそめたくなるような持論を展開し、挙げ句の果てには「いまから副社長に電話しろ」と店員に迫る始末。こういう大自然で暮らしていると、絶滅危惧種のホモサピエンスにも出会うことができるんだなあ。

さて、ドライブの途中で「桂花ラーメン本店」の看板を見つけた。そのロゴを見かけた瞬間、小さい頃の記憶が蘇り、心が躍った。

桂花ラーメンは、私が初めて食べた豚骨ラーメンだ。小学生だった頃、父から「日本で一番うまいラーメンがある」と連れて行かれたのが、新宿アルタの裏にある桂花ラーメンだった。8席ほどの小さな店内で、スーツを着た男たちが肩をすくめながら、独特な匂いのするラーメンをすすっている。都会の淀みを全て煮込んだような濃厚なスープ、針金ほど硬いストレート麺、そして口に残った脂を全て洗い流す謎の甘いお茶(のちにプーアール茶と知る)——すべてが衝撃だった。

今でも時々、思い出したように新宿店に足が向く。しかし、こんなに美味しい食べ物なのに、人から桂花ラーメンの話を聞いたことは一度もない。豚骨ラーメンがこれだけ世界に広まり、いまや「一風堂」や「一蘭」が着々と世界進出を果たす中で、桂花ラーメンは何十年も変わらずひっそりと、駅近の裏路地に店を構えている。外国人観光客が並んでいる様子は見たことがない。それでもお店が潰れずにいるのは、私のような根強いファンがいるからだろう。友達に勧めるには、クセが強すぎるのだ。なんだ、俺の音楽みたいじゃないか!

そんな桂花ラーメンの本店とは、一体どんな場所なんだろう。きっと年季の入った看板を掲げ、油でギトギトの床を進んだ先で、無愛想な店主のオヤジが黙々とスープを煮込んでいるに違いない。そう高を括って店に入ると、予想は見事に裏切られた。傷ひとつない看板と白色の蛍光灯が反射するピカピカの床。爽やかな高校球児のような青年が、我々を席まで案内してくれた。スタッフTシャツも、LOEWEの新作みたいでかっこいい。

ついに届いた桂花ラーメンを、一口すする。おやおかしいぞ、スープがまるで違う。まろやかながらもスッキリした旨味が口に広がる。新宿店のような濃厚さは全くない。むしろあっさりしている。まるで白川水源のようだ。源流に近づくほど、クリアな味わいになるのだろうか。だとすれば、私が今まで食べてきたあの桂花ラーメンは、一体何だったのか。

身も心もすっかりリフレッシュした私を、友人が熊本空港まで送ってくれた。出発ロビーで搭乗を待っていると、味千ラーメンと桂花ラーメンのコラボ店舗を見つけた。2016年の熊本地震が起きた直後、熊本を代表する両ブランドは手を組んで、翌日から炊き出しを行ったらしい。桂花ラーメンには、野焼きのあとに芽吹く草原のように、いつまでもたくましくいてほしいものだ。

ちなみに、カネコアヤノのライブはとても良かったです。さすがでした!

あなたの考えを共有し、他の人の考えに耳を傾けてみましょう。

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次回連載予定日:9月14日 12:00

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エッセイ

2026/08/14 連載

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小袋成彬

相変わらず宿を転々とする日々が続いている。この1年くらい、ずっとそんな生活だ。3週間ごとに場所を変え、部屋に音楽スタジオを作り、曲を作る日々である。最近は調味料と一緒に旅をしている。小さなテーブルソルトとグラインダーに入れた胡椒、オリーブオイルの瓶と、チリフレークのパック。滞在先は必ずフルキッチンが付いた宿を選び、自炊を中心に生活している。食費を抑えるためというより、料理をしている時間が好きだから

#発見#美術#旅