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Illustration: ©DAISUKE KONDO

小池水音 ⇒ 朝比奈秋 (往復書簡 第一通)
#日常#生老病死#往復書簡
エッセイ2026/08/19

死を見るもの 死を見たもの 死を書くもの

小池水音 ⇒ 朝比奈秋 (往復書簡 第一通)

小池水音

手紙というものをあらためて書いた経験はあるだろうかとふりかえってみると、大学生のころ、当時恋をしていたずいぶん歳上のかたに宛てて、3000字に及ぶ怪文を和紙に綴った苦い記憶がよみがえりました。

この往復書簡のタイトルには「死」という字が三つも入っています。「恋」に引けを取らず切実な、深刻なテーマと言えそうです。企画してくださった編集のTさんも「軽い話題から入っていただいても」とのことなので、かつての二の轍を踏まないようにとおもいます。

……そうは言っても、実はこのお話をいただいたときから、朝比奈さんと言葉を交わしてみたいとおもうイメージがぼんやりと頭にあり、それは「軽い話題」でもなければ、とはいえ「深刻な」とも一概に言えないものでした。

これまでに朝比奈さんとお話ししたことは四度あります。初対面は、朝比奈さんと九く段だん理り江えさんが野間文芸新人賞を受賞された二次会に、九段さんのお誘いで(落選者である僕が)お邪魔したとき。二度目は、中なか西にし智ち佐さ乃のさんの三島由紀夫賞受賞の二次会終わり、とある作家がふらふらに酔った場に新潮社の編集者がなぜか朝比奈さんを呼び、坂の上から街灯を後光のように背負いながら神々しく現れたとき。三度目は清きよし繭まゆ子こさんのお引き合わせで、北千住で三時間ほどお茶をしたとき。そして、僕がこの手紙を書いている前夜の、新潮社のパーティーでの松まつ家いえ仁まさ之しさんと三人での立ち話です。

はじめてお会いしたとき、朝比奈さんは、聴覚が過敏だった幼少期について話してくれました(たしか、朝比奈さんの小説の音感的な描写について僕から尋ねたのだとおもいます)。家族と夕食を囲んでいても、食器の立てる音や、話し声や、さまざまな音が耳に鋭く感じ、食事を終えるとすぐにひとりの部屋での静けさを求めたということ。それは家族との不和といった事情からくるものではなく、あくまで身体的な苦痛だったということ。

朝比奈少年の姿がはっきりと思い浮かびました。その姿は僕が朝比奈さんの小説から受け取ってきたイメージとも通じるものであり、それはすなわち、読者である僕が朝比奈さんの小説を媒介にして感受する“世界の手触り”とも通じているということです。ごく簡単な言葉で表せばそのとき僕は、深い共感を覚えました。鋭敏な感覚を持ってしまった少年の小さな孤独に。そしてまた、そうした少年時代を語るときの朝比奈さんの口ぶりや、過去をみつめるときの熱くもなければ冷めてもいない眼差しに、「このひとと話してみたいことがある」とおもわされました。

それはたとえば、こうした記憶についてです。

いろいろなところで書いたり話したりしていることですが、僕は二十歳のときに六歳年上の姉を亡くしました。喘息や過呼吸などの呼吸器疾患を中心とした複合的な症状に、長年苦しんだ末のことでした。旅行先のフィンランドで姉の危篤を知らされ、慌てて帰国したときには、心臓は力強く動いているものの自発呼吸は行えていない、いわゆる脳死の状態でした。

その状態が十三日間つづきました。後からふりかえると十三日間と言えますが、医師からは、心臓は今日のうちにも止まるかもしれないし、場合によっては数ヶ月とつづく可能性もあると聞かされていました。もし止まった場合、心臓マッサージは行うか。そんな確認が医師からありました。彼女はもうじゅうぶん苦しんだから、心臓マッサージは行わなくていい。母と僕がそう返答しました。

父はしかし、家に帰るともうずいぶん使っていなかったパソコンを動かして、あれこれと検索をつづけました。やがてみつけてきたのは、いわゆる奇跡と称されるような、脳死状態から回復を遂げた症例でした。数ヶ月も機能を停止させていた患者の脳が、すこしずつ回復していくことがある。酸素を含んだ血流が巡るかぎりは、そのようなことが起こりうる。

それから僕たち家族は、姉のからだに繫がれたモニターの「血中酸素濃度」を気にかけるようになりました(コロナ禍で世間がパルスオキシメーターを求めたとき、当時のことをよく思い出しました)。もちろん、そのような回復の可能性を僕たち家族がまるきり信じたわけではありません。それでもその一縷の可能性が、いくらつねっても反応ひとつしない姉のからだを、もう終わったものではない、わずかでも回復する可能性がある身体としてみせたことはたしかでした。

前置きが長くなってしまいましたが、この十五年うまく話すことも書くこともできずにいるのは、そのときじぶんが取った行動についてです。

看護師がときおり病室を訪れては、丁寧に姉の痰を吸引してくれるのを何度となくみていました。そして吸引を終えるたび、画面の血中酸素濃度はてきめんに数値をあげました。それが医療行為であり、資格なしに行っていいことではないと当時も理解していました。それでも僕は、十三日間のうち何日目かに、病床のそばにある機器を手に取りました。そして常に孔を開いている、姉が咥えさせられた管を通して、姉の肺から痰を吸引するようになりました。

それはどうやらうまくいきました。父や母は何も言わず、パイプ椅子に座ってぼんやりとこちらをみていました。人工呼吸器は一定のリズムで姉に呼吸をさせていました。やがて僕は、病院着を身につけた姉の胸に手のひらをのせました。そして機械が姉に息を吐かせるのにあわせて、胸をゆっくりと押しました。肋骨が沈み、その奥で臓器がかたちを変えるのが手に取るようにわかりました。ゆっくり、静かに、それをくりかえしました。そしてそのあとでは、痰はなおさらよく吸引できました。モニターには健康そのもののような数値が表示されていました。

僕が強烈に記憶しているのは、その時間、その感触です。人工呼吸器が、しゅう、という音を立てるのにあわせて、肋骨によって守られた姉の肺を潰すこと。それはどのような見地からみても意味のない行為で、当時の僕にしても、それで姉が延命するだとか、回復につながるだとか、そんな希望を抱くほど愚かではありませんでした。そしてまたそうしたなけなしのふれあいが、その後のじぶんにとって何かの慰めになったともおもいません。それでも、ほかに数多ある感傷的な思い出よりもずっと、そのときの感触が鮮明に残りつづけている。

ややこしいのは、それは姉を喪った悲しみとはかかわりのない記憶なのです。痛ましい記憶でも、癒しがたい傷の話でもない。誰にどう話しても同情を誘うようにしかならない話題ですが、僕は決してそれを求めてはいないのです。

いまどうにか分類しようとするならば、それは“ただのからだ”の記憶です。どうせ放っておいたら死んでしまうのだ。そんな投げやりな考えとともにはじめたマッサージによって僕は、二十年間ともに育った姉の胸にはじめて触れていました。そうして皮膚の下、筋肉や肋骨の下、みたことも触れたこともない肺という内臓の動きに、深く意識を注ぎました。僕の目の前にあるのは、ほかならない姉でありながら、姉ではありませんでした。

バナナマンのコントに大喜びする笑顔もなければ、歌手としてステージに立つときの歌声もなく、度を超えて繊細な感受性も、もうそこにはありません。これまで僕が認識してきた“姉らしさ”のようなものは、どこか遠くへと吹かれ飛んでいったか、あるいは、姉のからだの深くに沈みこんでしまっている。それなのに、そのからだはやはり姉の顔をして、姉のからだをそこに留めている。何かが決定的に失われ、しかし決定的な何かがたしかにここにある。そんな複雑に入り組んだ姉を目の前にするのは、そして触れるのは、どこまでも不思議な感覚でした。

こうしてあらためて書いてみても、やはりうまくひとに伝えられる種類の記憶ではないなと実感します。ですが、たとえ何とも結びつけられず、誰に受け渡すことができなくとも、このような感覚や景色は取り除きがたく、じぶんのなかに厳然として残りつづけます。そして、そうした事柄のひとつの出口として、置き場所として、僕は小説という方法を求めたのではないか。そんなことをよく考えます(あるいは反対に、小説を書いている過程で、すっかり忘れていたそのような感覚や景色にひさかたぶりに触れることも、しばしばあります)。ですが、小説というのは書く段階ではあくまで自己閉鎖的な営みです。書簡という明確な宛先をもったかたちでこうして言葉にすることは、僕にとって、これまで持ってこなかったひとつの態度をあらたに模索することでもあります。

朝比奈さんは勤務医時代に物語が浮かんでやまなくなり、小説を書きはじめたと語っていますね。朝比奈さんのその感覚は、おそらく僕が小説を求めた動機とは異なっているはずです。しかし、まるきりかけ離れたものではないのかもしれないと、ぼんやりと勝手におもっています。

往復書簡の作法のようなものが僕にはわかりませんが、今回書いたことにまったく言及いただかなくてもかまいません。少なくとも医師としての慰めやカウンセリングのようなことを求めて、こうした書簡を朝比奈さんに宛てたのではないことは、わかってくださるとおもっています。それに一見、全然応答がないままにつづく書簡というものも、それはそれでおもしろそうです。あるいは何便もあとになってようやく返答ができる事柄もあるかも知れません。

最後に「軽い話題」も書いておくことにします。

僕のもっぱらの関心は甘いもの、とりわけパフェにあります(いちばんよく通うのは、銀座にある〈和光ティーサロン〉です)。パフェを食べつづけるために日常的なランニングと糖質脂質の制限に励んでいます。優れたパフェというのは、テーマとなる果実の隠れた風味、ときには欠点までをも、クリームやゼリーといった菓子によって見出し、美点として引き立てる試みです。北千住でお会いしたとき、重たい食べ物は避けていると伺いましたが、そんな朝比奈さんの好きな甘味はありますか。

数えたらこの書簡は3000字を優に超えていました。いまならば恋文でももっと長く、もっと巧みに書けるかも知れません。

(了)

あなたの考えを共有し、他の人の考えに耳を傾けてみましょう。

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小池水音 ⇒ 朝比奈秋 (往復書簡 第一通)

次回連載予定日:9月16日 00:00