
(ジングル♪)11時から午後1時まで、ランチタイムにエバーグリーンな音楽とリスナーのちょっと聞いてよ! な打ち明け話をお届けする多治見マイヤのスマイルフリー☆プラネット。今日は「最近〈うーん〉と思ったこと」をテーマに皆さんからの投稿をお待ちしています。やっぱりね、みんな日々の生活で〈うーん〉と思ってもやもやすることめちゃくちゃ多いみたいで、続々とメールが届いていますよー。ラジオネーム、偽善者ウォッチャーさんから。「マイヤちゃんこんにちわ」こんにちわ! 「ぼくは今年、大学の学祭実行委員をやっています」あっ、いいね、学祭の季節、もうすぐだね。「その集まりで〈うーん〉と思ったことがありました」ほいほい。「茹でたピーナッツって、みなさん食べたことありますか?」あるよ! 某県でライブの打ち上げで食べたな。あるよね? とスタッフにも訊いてみる……え、ない? みんな首を横に振ってる! わはは。「ピーナッツは茹でると日持ちがしないので、産地以外では知らない人も多いみたいです」そうなんだ! 茹でると足がはやいんだね? 「ぼくの大学は規模がデカくて、実行委員の仲間にも地方出身者が少なくありません。顔合わせの懇親飲み会でのこと、茹でたピーナッツを知っているか知らないか、という話になりました。それをきっかけにして、みんなが自分の地元にかんする面白おかしい自虐的なネタの披露を始めたんです。書店が一つもないとか。東京に来るまでライブハウスに行ったことがなかったとか。離島だからAmazonの配達がわりとイベント、とか。田舎あるあるの競い合いみたいなネタで盛り上がっていました。すると、それを聞いていたAさんがとつぜん怒りだしたのです。あなたたちは恵まれているから地方を馬鹿にして笑えるんだ、って。いや、それを言うなら、Aさんこそ東京生まれ東京育ちで、両親は大学教員で、経済的にも、いわゆる文化資本的にもとくべつ恵まれた人に僕には見えます。〈うーん〉となって、もやもやしました」あー、この〈うーん〉はわかる。オマエが、オマエが言うのかああ、な、〈うーん〉だよねー。うん。でもこの彼女も自分なりの芯を持って注意してくれたんだとも思うし。たぶんこのお便りに出てくる人みんな悪気はないんだよね。なんかほら、自虐としても、自分なりの愛おしさからくる自虐ってあるわけだから。でもそのノリってさ、たぶん学生だから許されるんよね。Aさんはこう……もっと大人になった先の社会をすでに見ている人なのかもね。私もけっこう自虐で笑いとりたがるほうなんで、でもちゃんとそれを怒ってくれる人も周りにいるのよ。マイヤちゃんそれはダメよ、傷つく人がいるからねって。ああそうかあ、そうだよな、って思う。だから両方の気持ちがわかる。偽善者ウォッチャーさんの気持ちもわかる。もやもや聞かせてくれてありがとう。どんどん吐き出してこ! ではここで一曲お送りしましょう。アンジェラ・アキで、『HOME』
◇7年後◇
職場に近い行きつけのカフェのテラス席で、待ち合わせの相手が来るまでの暇にSNSを開いていた詠衣子はぎょっとして声をあげた。
「……は? 何なのこれ。あいつ、何をふざけたこと言ってんの。ちょっと待って」
ランチタイムならそこそこの列ができるカフェも平日午後5時半のテラス席には彼女1人だ。
それでも我に返って自分の発した声の残響に羞恥を覚え、落ち着こうと姿勢を正したところで行宏が現れた。
「ん、何かあった?」
無意識に縋るような目を向けていたのだろう。
向かいの椅子を引きながら心配そうに言われて詠衣子は首を振る。
「何でもない。何でもないんだけど……あああ、むかつく!」
結局、怒りは収まらなかった。
「学生時代の知人がね、作家になって3年前に芥川賞を取ったんだけど」
「え、そんな知り合いが。誰だろ、どの本?」
もともと読書好きの行宏に手元のスマホで検索した画面を見せ、
「そう、この本はとても素晴らしかった。人間の心の底の底のドロっとしたところぜんぶ掬い上げてお日さまに晒して一滴で全人類殺せるほどの毒薬にしちゃうような小説で凄かった。それは素直に凄いんだけど。それでXのフォロワーが増えたらどんどん調子に乗って冷笑キャラ? って言うのかな、世の中の炎上にかこつけて斜に構えたポストで〈いいね〉稼ぎをするようになってね。見てよこれ。これ絶対、わたしのこと」
タブを変えた画面をふたたび掲げる。
+++
木兎みずや@mzy-mimizuku
さっきコンビニで、茹でたピーナッツの真空パックが売ってて思い出したんだが、学生時代の学祭準備室で、茹でたピーナッツ食べたことある? 旨いよね? みたいな話で田舎者同士盛り上がってたら突然「地方を馬鹿にしてる」とかキレた東京出身の女がいて訳が分からなかった。ああいうの、一周回って東京人の東京コンプなんだよなあ。
午後2:07 · 2026年5月17日
38件のリポスト 24件の引用 312件のいいね
+++
「ごめんね。ちょっと訂正入れとくわ」
詠衣子が投稿画面に入力を始めながら謝ると、
「いいよ。予約時間までまだあるから、ゆっくりコーヒー飲んでく」
行宏が店内のウェイターに手を挙げて言った。
先日婚約した二人は、この後ホテルのウェディングプランの初回打ち合わせに向かうところだ。
詠衣子の勤務する育英財団が入っているビルと行宏の職場とのちょうど中間地点にカフェはあった。
「ありがとう。ささっとやっつけるわ」
+++
返信先: @mzy-mimizuku
えいえいこ@eieieiko
意図的なのか知りませんが、思い出したという記憶に穴が空きすぎでは?
東京育ちの私と幼なじみでもあるあなたは、あのとき「茹でたピーナッツの味が海馬に仕込まれているかどうかが田舎者のリトマス試験紙」と言って、地方出身者を笑いものにしていました。
でも、私が注意した理由はそこではありません。(1/2)
午後5:41 · 2026年5月17日
私が看過できなかったのは、飲酒禁止の学祭準備室に深夜だからとビールを持ち込み、さらには重度のピーナッツアレルギーを申告している委員がいたにもかかわらず、柿ピーをおつまみに配ったことです。「食べなきゃいいじゃん」で済むことではないのに……。(2/2)
午後5:43 · 2026年5月17日
+++
自分のスマホで木兎みずやのXアカウントに辿り着いた行宏が、コーヒーカップの向こうで瞳を丸くする。
「幼なじみ?」
「うん、まあ。中学からは同級生」
「同級生ってことは、木兎みずやって女子校出身? 勝手に男性作家だと思ってた」
「受賞会見とかで一応顔出しはしてるけどね。実物に会えばよくいるオタク系女子だけど、SNSではこういう感じで一人称も俺。舐められると思ってるんだろうね。人を見れば上か下かジャッジする価値観に自分自身が染まっているから。そういう性格なんだよ、昔から」
「詠衣子にしては辛辣」
「そうかもね。人のことすぐ偽善者って言うし。そういうやつ、嫌いなの。浅くて」
シャットダウンしたスマホをバッグにしまって、詠衣子は伝票を手にした。
店内のレジ前に立つ詠衣子の横顔をガラス越しに見ながら、行宏はコーヒーを飲み干す。表情から数分前までの険しさをさっぱりと消し、柔らかい笑顔で店員と談笑する彼女。店員に〈本日のブレンド〉の香りがとても好みで仕事帰りに癒されました、と伝える声の素直さにこちらが癒される。
区役所の子ども政策課に勤める行宏が詠衣子と出会ったのは、業務で出席したシンポジウムの会場だった。地域格差と進学支援をテーマとしたシンポジウムに、奨学金関係の仕事に携わる詠衣子は休日をつぶして自主的に参加していた。
そりゃあ、彼女からしたら外野の茶々などすべて「浅い」よな、と行宏は笑ってしまう。
手元で更新した画面には、早くも木兎みずやからの返信がぶら下がっていた。
+++
返信先@eieieiko
それは誤解がある。ビールはノンアルコールビールだったはずだし、私には重度のアレルギーの申告のことは知らされていなかった。
撤回してください。
午後5:47 · 2026年5月17日
+++
+++
返信先: @mzy-mimizuku
知らなかったなら、指摘された時にすぐ柿ピーを回収して「ごめん」と言えばそれで終わったでしょう。だけどあなたはあの時こう言いましたね。「何でマジョリティがマイノリティに気ぃ使って合わせなきゃいけないの。柿ピーくらい食わせろよ」
この発言を問題視して私は学祭実行委員長を通じてハラスメント対策室に相談し、所定の手続きを経てあなたは実行委員会から除名されました。あの出来事の客観的事実は以上です。
午後6:02 · 2026年5月17日
+++
タイムラインには、バズの初動を嗅ぎつけたアルゴリズムによって詠衣子の返信投稿を引用したリポストが積み重なっていく。〈柿ピーくらいお前が食うの我慢しろよ〉〈どっちが本当?〉〈アレルギーの件がマジならヤバい奴すぎる〉〈委員会から除名(笑)〉
+++
ゴムの首@rubbernecker99
これはわからなくなってきたな——。
午後6:25 · 2026年5月17日
+++
◇15年後◇
「ねえママ、この人すごく可哀想なんだよ」
夕食後に宿題をすませて私室から戻ってきた娘たちが、熱心な声で言った。
ダイニングテーブルに上半身をほとんど寝そべらせるようにして長女が差し出してくる投影タブレットを覗きこむと、次女の手指が反対側から伸びてピポパと画面を操作する。
拡大されたテキストは詠衣子の視線の動きに合わせて自動的にスクロールされていく。
「なに、なに、何なの」
「昨日からすごく跳ねてるの。学校の小説のクラスでも話題になってた。この作家の人、すごく大変な人生だったんだって。それでいますごくお金がないんだって。みんながドネドネしてるから私もしたんだ、投げドネ」
長女のサツキは両手で頰杖をついて首を揺らし、にこにこしている。食べるところで寝そべっちゃだめよと注意したいけれど、密度の高いテキストを読み進めようとしている意識が母親の小言を喉の手前で渋滞させる。それを追い越して詠衣子の口から出てきたのは困惑の声だ。
「寄付を?」
「ヤヨイもしたよ! ドネドネ!」
次女のヤヨイのほうも心なしか胸を張って誇らしそうににこにこしている。14と12にしてはまだまだ無邪気で甘えん坊で親の目の届かない世界へ重心を移しきっていない娘たちのあどけないくらい素直な表情に安らぐ気持ちも詠衣子にはある。けれど同時にうっすらとした懸念がよぎるのだ。
「ドネドネ……」
確かに、投影タブレットが表示する『LEAF LEAF』というメディアプラットフォームには、クリエイターに任意の金額の投げ銭ができるドネドネボタンが装備されている。ドネッ! ドネッ! と効果音のような立体文字が鼓動するハートのアニメーションの周りで跳ねて弾ける。
「あなたたち、そんなに簡単にお金を使うの?」
画面から目を離して詠衣子はそう訊いた。
でも本当に訊きたかったのは、その疑問の裏側にぴったりと貼り付いていることのほうだ。
簡単にお金を使うのは使えるお金があるからで——。
詠衣子と行宏は、娘たちに年頃相応の額のお小遣いを与えてはいるが、ネットワーク上の投げ銭にほいほい使える余剰が出るほど倹約に努めているようにも見えない娘たちには、別の収入源があるのだ。
ずいぶん前から子どものSNS利用に法規制がかかるようになり、アカウント開設には親の許可が必要かつ有料制となった。デポジットは13歳を過ぎれば電子マネーで返金される。この電子マネーで参考書を買いなさいとそのまま子どもにコードを渡す親が多い。すると、10代の子どもたちのあいだでデポジットを元手にした〈お金増やし〉が流行りはじめた。
あらゆるコミュニケーションにAIが浸透して10年、20年と時が過ぎるなか、相対的に価値を高めたのは人間の感情だった。特に〈好き〉か〈嫌い〉かの感情。〈好き〉と〈嫌い〉を感じるセンス。理屈では説明できないその源泉。感覚。理由のない瞬発的な心の動きのパワー。子どもたちの〈お金増やし〉の場となっている感情取引市場は、感情を会得したいAIの側の欲望によって生み出された。感情がないAIにも欲望はある。欠落を埋めたいという理屈をともなった欲望ならば。
〈好き〉か〈嫌い〉を感じた瞬間のライフログをバイタル計測値とあわせて登録するだけで少額だが報酬が得られる。塵も積もればお小遣いになる。AI企業は感情の発生メカニズムの研究を深めていく。詠衣子はこの流行をニュースメディアの解説で知ったとき、手当たり次第に少女小説を読み漁っていた少女時代の記憶をふとよみがえらせた。そのほとんどがラブロマンスだったのに、恋する主人公がなぜ特定のその人を好きになったのか、恋する過程を説得力のあるかたちで書けている作品は稀だったし、読者からもそれは求められていないようだった。前世からの運命の相手とか、幼少時に印象的な交流があったと判明する展開のほうが、読み手にも書き手にも好まれていた。感情の機微を扱うプロフェッショナルであるはずの小説家ですら、〈好き〉の湧いて出てくるメカニズムを充分に解明しきれてはいないということか。
中高生のころ少女小説家になりたかった詠衣子は、ついに一つも作品を完成させられなかった。稀なほうの小説を書けなかったからだ。
だけどあなたは書けるほうの人だったじゃない——。
詠衣子はLEAF LEAFのテキストに視線を戻す。
書き手のLEAFネームは、木兎みずやだ。
木兎みずやは、私の娘たちに可哀想がられてしまうような人だったろうか。
「サツキ、ヤヨイ、ねえ、可哀想ってどういう意味か、わかってる?」
磁器のコンポート皿に盛られたさくらんぼを頰張りながら、サツキもヤヨイも揃ってきょとんとした顔になる。先にサツキが酸っぱいさくらんぼに当たったみたいにキュッと顔をしかめて心外そうな声を出した。
「わかってるよ、わかってるし、〈でりばれ〉にだってかけたもん」
「あ、ヤヨイもちゃんと〈でりばれ〉に通してからドネドネしたんだよ。そこはちゃんと気をつけてるよ。ご心配なく」
詠衣子は1000年生きている亀のようにゆっくりと顔の表情を動かした。
〈でりばれ〉——。
〈でりばれ〉というのは、あれだ。
今ではみんなが、それに頼る。正しいか正しくないか、本当か噓か、リスクはどう? そっちを選んで幸せになれる? こういうことをして嫌われない? 人間として間違ったことじゃないよね? 何もかも〈でりばれ〉を通せば自動的に行先は決まり背中を押される。〈でりばれ〉はもう質問する相手でも相談する相手でもない。だから「訊く」ではなく、「通す」なのだ。
「この木兎って人のLEAF LEAFに噓は書かれてなくて、寄付するのは正しいことだし、ぜんぜん偽善じゃないんだって。〈でりばれ〉がそう言うんだから安心してよ、ママ」
人差し指と親指を輪にしたオッケーサインを作ってサツキは言った。
「あ、パパ。さくらんぼあるよ!」
風呂上がりのパジャマ姿で冷蔵庫へ直行する行宏にヤヨイが声をかける。さくらんぼは行宏が洗って盛り付けて置いていったものなのだけれど、行宏は笑って「いいねえ」とだけ言って、 ビール片手にこっちへきた。
「ちょっとトイレ行ってくる。パパ、ぜんぶ食べちゃわないでよね」
テーブルからぱっと身を起こしてサツキは廊下へ飛んでいった。
行宏が取りやすい位置へコンポート皿を移動させた詠衣子は、テーブルに触れた手の甲にさっきまでそこに寝そべっていたサツキの熱を感じて、少しだけほっとした。
◇3日前◇
私は母が生まなかった子どもだ。
母は私の生まれたことを認めなかった。最後まで私が母の子どもになることはなかった。それでいながら私はどこまでも母の子どもだった。母の子どもでしかありえなかった。
東京。東京には母のすべてがある。
何もない場所に嫁げばそのすべてを失うことを彼女は知らなかった。彼女が嫁いだのは目と鼻の先の神奈川の名もなき町だ。生まれ育った山の手から距離にしてたったの50キロメートル離れただけで彼女は自由を失った。
自由を失えば、彼女の価値は何の効力も持たなくなるのだ。母の言葉も外見も趣味も教養も、嫁ぎ先の女たちは彼女の持つものを何もかも泥水に沈めるように陰口の種にした。
「おまえは生まれが悪いから」
母はいつも私にそう言った。私の姉を母は実家近くの高級産院で産んだ。だから姉は母の子どもだった。でも私は嫁ぎ先の町の病院で生まれた。 私は生まれつきの田舎者だった。
「わたしの視界を汚さないで」
母はいつも私にそう言った。でも私が姉のように母の選んだ東京の子らしい服を着ることを許さなかった。
姉は母の実家の蔵書を読むこともできた。私には許されなかった。
ピアノや英語や、塾、母との食べ歩きと買い物は、私の口から「やめたい」と言いだすように仕向けられた。父にも世間にも、私が自分で望んだことに見えるように、母は巧妙に周りをあざむいた。
姉は母が望むとおりの娘になった。私もまた、母が望んだとおりの、父の実家で出される茹でたピーナッツをぱくぱく食べる田舎の垢抜けない子どもになった。
「茹でたピーナッツ!」
腐った死体でも見るように顔を歪めて吐き捨てる母の声。
世間体のために姉と同じ私立中学を受験させて、塾なしの独学で受かった私を憎々しげに見ていた目つき。合格祝いの夜、みなが寝静まった夜中に目を覚ますといきなり大量の茹でたピーナッツを口の中に押しこまれ、しなやかな指を蠢かせる母の手に顔の半分を塞がれた。私は初めて殺意を感じた。母から私への。そして私から母への。私は母の腹を両足で蹴り飛ばした。
中学にA子という同級生がいた。A子の家は母の実家の近くにあり、祖父母どうしが近所付き合いをしていた。中学で同級生になる前から、私はA子を見知っていた。
「やっぱり東京の子は違うわね」
「あれが東京の子よ」
「東京の子だからね」
A子の話が伝わるたびに母が言う。
10代に入って次第に壊れていったのは私ではなく、姉だった。
母とともに都落ちさせられた子である姉もまた東京の子ではないのだ。それでも東京こそが故郷だと証明するために姉は若い体で東京を彷徨い、東京の毒に染まっていった。東京の子の顔を作るのにも、東京の食べ物を食べるのにも、東京の装いを手に入れるのにも、金が要った。
関東の片田舎に残る因習と閉塞感からの解放を純愛小説に仕立てたライトノベルで賞を獲り、私は高校生作家になった。A子は私の小説を褒めた。私の小説のファンだと言った。A子は私と同じ大学、同じ学部に進み、いつも私の視界にその姿をチラつかせた。私が新刊を出すたびにA子は読書記録アプリに熱心な感想を書いていた。それは好意的でありながらも単なるお友達の感想文ではなく、深い読みこみと客観的な論証を駆使した批評として充分成立する読み物だった。私は怖くなった。次の新刊でも同じ評価を彼女が下すかどうか。その次の新刊では?
私は怖かった。私の書く小説のファンを失うことが。
私は、私の書く小説と私自身とは別々のものであると、誰よりも自分自身にそう思わせる必要を以前から感じていた。私はそのために高校時代から酒をのみ、タバコを吸うことを始めていた。小説の中の思慮深い主人公たちとは正反対の下劣さを身にまとい、大学生活にも慣れてくるとますます露悪的な言動に磨きをかけた。A子はそんな私に非難の目を向けてきた。
「あなたたちは恵まれてるから人の痛みがわからない」
A子が私を非難して言った。
それはA子がいちばん言ってはいけない言葉だった。
私が持てなかったすべてを持っているA子が。私が恵まれなかったすべてに恵まれているA子が。母の娘であるA子が、けして言ってはならないはずの言葉だった。
7年後に私は、SNS上でA子の偽善を暴いた。A子は私の投稿に食い下がってしつこく反論してきたため論争は長引き、看過できない中傷もあり、私はA子との法廷闘争を選んだ。
この騒動をきっかけに私が小説の仕事を干されたと世間には思われているようだが、そうではない。作者の好感度も市場価値に影響するようなエンタメ作家ならばともかく、この時点ですでに純文学作家となり海外の賞の候補にもたびたび上がっていた私に、騒動は仕事上のダメージを何ら及ぼさなかった。
中傷の事実を認めないA子との争いが、私の心身を痛めつけた。私は重い抑うつ状態となり、小説が書けなくなった。
この頃に母は父と離婚し、神奈川の家から出ていった。母の兄である伯父はアメリカの大学で長く教鞭を執っているため、老いた祖父母が施設に移ると、山の手の実家は空になっていた。処分して現金資産にする案も出たが、これには母と姉が頑なに反対したのだった。祖父が他界し、母に4分の1の遺産が入ることになると、その金を頭金にして母は伯父の持分を買い取った。残額は伯父への分割払いとした。母と結託してこれを仕切ったのは姉だ。もっとも、これはどちらがどちらの操り人形で……などという話ではないのだ。一心同体かどうかは知らないが、東京という信仰対象を一つにする双子のような2人が、山の手の実家という唯一のよすが——東京にしがみつくためのよすがを手放せるはずがない。
小説は書けなくなったが、母との縁が自動的に切れたおかげで私は頭の中の靄が格段に薄くなり晴れていくのを感じ、人生に活力を取り戻した。私は一帯の地主である父方の本家から格安で農地を購入し、小規模ながらピーナッツ農家を始めることにした。
ピーナッツ栽培は、初めこそ試行錯誤の連続で、天候との戦いにも苦しめられたけれども、コツを摑むと面白いくらい収穫が増し、3年で黒字の軌道に乗った。事業の拡大を図る余裕も出てきた。青果市場への出荷だけでなく、ピーナッツバターや焼き菓子の通信販売、観光客向けの収穫体験なども始めた。ほかにこれといった名産品のない土地だったこともあり、ふるさと納税の返礼品として人気が出た。敷地の片隅で始めた小さなカフェでは、ピーナッツソフトクリームを目当てに一時期は行列ができたほどだ。
満を持して、私は茹でたピーナッツの商品化に取り組みはじめる。茹で釜を据え、真空パックの機械を導入して、ラベルの発注を済ませた。
試作第1号が仕上がったその日の夕方、近隣に熊が出没して人を襲ったニュースが流れた。丹沢山地から人里に降りてきたツキノワグマが相模川伝いに進出地を広げ、とうとう私の地元に到達したのだ。この頃から続けざまに近隣で熊被害が相次ぐようになった。たちまち観光客は来なくなった。カフェを閉じ、肝腎要の畑を守ることに注力したが、電気防護柵の設置には多額の費用がかかった。直接の被害に遭うことはなかったものの、夜中に食品製造舎の窓ガラスが破られていたことが一度だけあり、それが熊のしわざかどうかは判別しがたかったが、怖がって従業員はみな辞めていった。もともとの人手不足と人件費の高騰のなか、上り坂の勢いでぎりぎり回していたキャッシュフローはあっけなく行き詰まった。収穫も通信販売も人手が足りず、畑は荒れていき、茹で釜と防護柵の投資を回収できないまま、農園を畳むしかなかった。借入だけが残った。いやそれだけじゃない。地面と同じ色をしてひび割れた肌と、腰痛も。
電気柵の電流を落とした日、父が嘱託勤務先で脳梗塞を起こし、救急搬送された。そのまま入院した父のもとに通う日がしばらく続き、1週間目に私は、母と姉に遭遇した。熊よりも嫌な相手だ。とっさに警戒の電流を帯びた私に、2人は東京人の顔つきで、流暢に上品な見舞いと労りの言葉を言った。母は見違えるほどに潑剌として機嫌がよかった。若い頃の母はこうだったのだろうと感じさせる屈託のない魅力的な笑みを私に向けた。夜職とコールセンターを渡り歩くような若年時代を抜けたのちに山手の家のサンルームでネイルサロンを開いて繁盛させている姉も、病室にいるあいだは甲斐甲斐しく父の世話を焼いてみせていた。アゲハ蝶の舞う爪をひらめかせながら。
「芥川賞まで取ったんだから、あなたも東京に来て、頭を下げて文壇に入り直してさ、作家として華やかにやっていけばいいじゃない」
山の上の者たちは、親身をよそおい細めた瞳に無責任な優しさを湛えて私を誘い、励ました。私の上昇も失墜も、遠く下町の花火大会ほどの景色でしかないように。しかし言っていることは素人そのものだ。文壇は頭を下げて入ったり出たりするものじゃない。
いや、そもそも、どこにあるのか文壇……?
まあ、あるとしたら確かに、他ではない東京のどこかにそれはあるのだろう。
だが、私は今さら東京人になどならない。
なるものか。
ならぬのだ。
どれほど熊が出没しようが、書くことはできる。どれほど熊に荒らされた土地の上でも、物語は育つ。だから私はここで、この場所で、再起を誓う。
A子さえいなければ、私はきっとずっと小説を書いていた。今でも安定した原稿収入があったはずだけれど、それも彼女に奪われた。
奪われたままでいいのか?
熊たちはきっと、私にそう問うためにやってきたのに違いない。
私は、書く力をA子に奪われたままは嫌だ。
小説を書く力。
私の持つものは、それしかない。
私は私の持てる力を取り戻す。
そして、私の持てる力のすべてを使って、自由を勝ち取りたいと思っている。
次回予告: 次はA子がどんなふうに私を追い詰めていったかを書きますね。(^^) あれは彼女のコンプレックスと嫉妬による巧妙な罠だったのだと思います。 🌿
◇×××、後◇
千年前の人間の感情を体験してみましょう——。
ピーナッツポッドの中で通信公教育のカセットテープをセットしたとき、水中イヤホンから聞こえてきた担任の先生の声がそう言った。
ポッドの内壁モニターに、感情教育、と科目名が表示されていた。
〈7歳の誕生日に生きた子犬をねだったが「どうせお世話するの最初の3日だけであとはママに任せきりにするんでしょ。わかりきったことだわよ」と言われてぬいぐるみしか買ってもらえなかった子どもの気持ち〉
〈24色のクーピーペンシル(注:昔の色鉛筆?)を学校に持っていったらその日のうちにロッカーから消えて紛失してしまった子どもの気持ち〉
〈おともだちのお誕生会でおともだちのおばあちゃんが素手で握ったというおにぎりを食べられなくて泣いてしまった子どもの気持ち〉
内壁パネルの物理ボタンに割り振られた選択教材からどれか一つを選んで、その感情をコスチュームブレインに複写しろ、ってことらしい。
——つまんね〜感情ばっか。子供騙し
と、ぼくは呟いた。
ピーナッツタンクを満たすシロップに僕の口の中から生まれた泡が漂う。緑色に光りながら。ぷくぷくと舞い上がって弾けた瞬間、オンラインにしているグループチャットにぼくの呟きが届いた。
水中イヤホンを通して、クラスメイトの呟きが返ってくる。
——公教育の指定教材っていつもこんなん
——つまんね
——感情なんか〈集積所〉でいつも漁ってるし
——オレらのほうが目利きっしょ
ぼくはシロップに沈んだまま同意のくすくす笑いを放つ。
——じゃあ、誰がいちばんセンス良いか競争な
というわけで、登校時間までのリカバリタイムをぼくらは〈集積所〉の探索でつぶすことにした。
一日に外で活動できるのは15歳以下の子どもの場合は5時間が限界って言われてて、それだけ活動時間を絞ってさえ、帰宅後の時間はピーナッツ型リカバリポッドのシロップに浸かってダメージを回復させなければいけない。大人は活動時間がもうちょっと長くて、8時間。
私たちが大人になる頃にはきっと画期的な技術革新が起きて大気の浄化が現実に進みだすって言われてたのに——ときどきママがそう言って肩をすくめるのをポッド内のモニター越しにぼくは見ていた。
宇宙環境が変わってしまった理由はよくわかっていなくて、住んでいる国によって考え方がけっこう違ってて、学校で教えることも国によって変わるんだってタレント博士のイケガミキメラがテレヴィジョンで言ってた。神さまが変えたんだって教える国もある。人類が知らずにいた宇宙法則が発動したんだと教える国もある。それは間違いなく人間のせいだって教える国にぼくは住んでいる。人間が起こした戦争のせい。軌道兵器だったとか、月を動かしちゃったとか、太陽をつついちゃったとか、いろんな説がいろんなところで飛び交っているけど、けっきょく今の今まで真相は解明されてない。地形も変わって住めるところがむちゃくちゃ少なくなっていて、それやこれやの原因を知ろうとするより居住環境をどうにかするほうが先なのだ。とにかく宇宙から注ぐ高エネ粒子が体に悪さをするので、ぼくらのピーナッツポッド生活は当分ずっと終わらないみたいだった。
全天球ディスプレイに映した〈集積所〉を探索していると、鳥みたいなのが飛んできて頭上でばさばさと旋回した。
何だろう、と手を伸ばして捕まえたデータには、【mimizuku】というタイトルが付いている。ぼくはそれを複写ってみた。発掘人があつめた電子記憶をとりあえずいいかげんに放りこんでおく場所が〈集積所〉だった。整理されていない雑多な感じが逆にみんなの冒険心をくすぐって、最近のぼくらはポッドの中で目覚めているとき大体ここに入り浸っていた。発掘人は人の住めない穴ぼこになった昔の街の遺跡から物理的に電子記憶を掘り起こしているんだって。とくにこの国でいちばん大きな街からはざくざく記憶が掘れてくるって。大人になったらぼくはその街の底に降りてまだ誰も手の届かないところの記憶を掘ってみたい。
登校時間が来ていたのでシロップの排出ボタンを押し、ドライシークエンスを始める。制限時間をカウントするタイマー付きの外出着を被せられてピーナッツポッドから出たら移動トロッコに片足で飛び乗り、ベルトもしないでギアを全速に入れる。デュプった感情はコスチュームブレインに時間をかけて馴染んでいく。学校に着く頃にはぼくは千年前の感情豊かな人間の顔になっているだろう。だけど、大人たちが心配しているほど、ぼくら現代の子どもたちに感情が薄いだなんてことはない、と思う。浅はかだとか、直線的とか、共感力に乏しいだとか、大人はいろいろ言うけど、そうかな? 確かにぼくらだいたい「おもしれ〜」か、「つまんね〜」か、「ムカつく」、しか言わないから、感情がそれしかないみたいに見えるかもだけど、でも……でもさあ。高エネ粒子の影響を気にして大人はちょっと心配のしすぎなんじゃないかな?
学校の大廊下でトロッコを乗り捨てると、10車線あるトロッコ線路の合間を自分の足で連絡橋まで歩いた。少ない活動時間のあいだに筋力を鍛えさせようとして、校舎はあちこち階段だらけだ。パズルゲームみたいに複雑に入り組んだ階段を教室めざして登っていく。トンタントントンッと同じ階段を上から駆け降りてくる生徒とすれちがう。ぼくは階段の途中でふと足を止めてふりかえる。同じ1年生リボンを付けた、たぶん別クラスの髪の長いそいつは軽やかな足音をひびかせ、校舎の底へと降りていく。ぼくはクラスメイトと会うため急いでいるのに、その後ろ姿をいつまでも目で追った。
なんか、あいつ、ムカつく——。
(了)