
「あの人なんて名前だっけ」と、ふと思い出しては考えていた時期がある。あれは「KiyaKiya」というアニメーションを完成させた少し後だから、たぶん二〇一二年のことだ。
その頃私はニューヨークのクイーンズ北西部、アストリアという地区で一人暮らしをしていた。マンハッタンの川向いでありながら、どこか長閑な街である。四階建ての建物の四階に住んでいた。1Bedroomと呼ばれるリビングとベッドルームの二部屋ある物件である。そのリビングで私はアニメーションを制作し、その手伝いをしてくれたのが彼女だった。
今週空いてますかと連絡すると、彼女は私のリビング兼仕事場にやって来た。そしてアニメーションの動画のスキャニング、時にはマンガのベタ塗りなんかも手伝ってくれた。日本人である。仕事の合間のおしゃべりで、彼女がマンハッタンのお寿司屋さんでアルバイトをしていることを知った。恋人と一緒にそのお寿司屋さんに行ってみたこともある。彼女のおかげもあって、やがてアニメーションは完成した。そして展示もして、しばらくたったある日、私は彼女の名前が思い出せなくなっていることに気づいたのだった。お寿司屋さんの名前も、白い制服姿も覚えているのに、彼女の名前だけが思い出せないのだ。
展示のお知らせと共に彼女にお礼のメールを送ったから、その頃はまだ覚えていたはずだ。もう制作に人の手は要らないし、差し迫って思い出す必要はない。ただ、思い出せないとなると何だか気に掛かる。仕事場で一人絵を描きながら、コインランドリーに行く道すがら、マンハッタンへの地下鉄の中で、ふと彼女のことを思い出す。やはり名前は思い出せない。実のところ、調べようとすればたやすいことだった。私の仕事場であるリビングはキッチンとの境に壁がなく、カウンターで仕切られていた。仕事机から後ろを振り向くとすぐそこにそのカウンターがある。カウンターには小さな引き出しが二つついていて、左側のを開けると、そこに小切手帳が入っていた。アメリカで銀行口座を開設した際にもらったものだ。小切手はこちらでは一般的に使われていて、私も彼女のバイト代を小切手で支払っていた。受取人の名前、金額などを記入し、サインして渡すのであるが、これはカーボン式で控えが残るようになっている。つまり、椅子から立ち上がり、数歩歩いてカウンターへ行き、引き出しを開けて、小切手帳をめくる。それだけのことである。それだけで彼女の名前を見つけられるのだが、それだけのことに面倒臭い。そしてそのまま何ヶ月か放っておいたある日のこと、私は夢を見た。
夢の中、いつものようにリビング兼仕事場で絵を描いていた私はふと、彼女のことを思い出した。しばらく考えてはみるが、やはり名前は思い出せない。私は椅子から立ち上がった。数歩歩いてカウンターへ行き、左の引き出しを開けた。小切手帳を取り出し、ページをめくる。そして、そこに彼女の名前を見つけたのだった。
それから十四年。私は今、アストリアではなくソーホーに住んでいる。一緒にお寿司屋さんに行った恋人と結婚し、彼が長く住んでいるアパートに引っ越したのだ。マンハッタンのソーホーといえば、その家賃が高いことでも有名であるが、簡単に言うと古い建物に長く住んでいるという理由で、うちの家賃は信じられないほど安い。借主保護を目的としたレントスタビライゼーション(家賃安定化制度)というやつのおかげだ。工場だったスペースをアーティストのスタジオや居住用にリノベーションしたロフトと呼ばれる物件である。元々ここに住み始めたのは夫ではなく、夫の亡くなった前妻で七十年代後半のことだ。そこに夫が合流し、さらに私が合流して今に至るのだが、夫によるとこの部屋はかつて、ポルノ会社のオフィスだか倉庫だったそうだ。そういえば以前、ソーホーの歴史について調べていたら、十九世紀半ばこのあたりには歓楽街、青線地帯があったそうだし、夫も隣のビルに売春宿があった頃を知っていると言うから、さほど驚くことではないだろう。しかし、ポルノ会社の後(その後にどのくらい間隔があったのは不明だが)、前妻の一つ前にこの部屋に住んでいたのは俳優のケビン・ベーコンだったらしい、ということを聞いた時は驚いた。「ケビン・ベーコン六次の隔たり」(任意の俳優から共演者をたどり、最大六人でケビン・ベーコンにたどり着くゲーム)というのもあるが、まさか私から数手で彼にたどり着くとは。
なんだか話が大幅に逸れてしまったが、とにかく私はもう、リビングで働いてはいない。ロフトは横に広いから、その端を壁で区切って仕事場にしたのだ。私はその部屋で今、アニメーションを作っている。彼女が手伝ってくれた「KiyaKiya」以来だから、約十五年ぶりのアニメーションである。制作のきっかけになったのは、これも大昔、まだ日本に住んでいた二〇〇八年頃に見た夢である。夢というなんだか実体のない、ふわふわしたものの上に立脚しようとしているから、絵コンテを作るだけでも随分時間がかかった。何百枚もスケッチを描き、イメージをつかんだかと思えば、霧のように拡散してとりとめなくなってしまう。そんな状態が言ってみれば十五年ほど続いたのだから、大変気の長い話であるが、それでも諦められなかったのは、私が夢を信頼しているからだろう。あの日、夢の小切手にローマ字で書かれていた彼女の名前を、あれから決して忘れない。すっかり忘れていたアニメーション編集ソフトの使い方は、使い始めたらちゃんと思い出せた。それは一度自転車に乗れるようになると、死ぬまで乗り方を忘れないようなものだろうか。ということは、私は小学生の頃に一輪車に乗れたから、今でも一輪車に乗れるのだろうか。なんだかまた話が逸れてしまったが、アニメーションの結末はもう夢の中にあるのではないだろうか。夢で見るのが先か、私が作り終えるのが先か、そんなことを考えながら私は今日も動画を描いている。
(了)
(編集部より)
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