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Cover Illustration: ©Shishi YamazakiCharacter Illustration: ©DAISUKE KONDO

あの頃の気分
#デビュー前の話#エモい#孤独
エッセイ2026/08/26

あの頃の気分

乗代雄介

小学校の高学年になる時には、家のパソコンはインターネットに繫がっていた。中学に上がると、学校でも用いる学習備品としてノートパソコンを手にして、その繫がりはより個人的なものになった。一九九九年のことで、画面の大きさは今とそれほど変わらないにしても、厚みと重さは何倍もあった。もちろん当時は不便とも思わず、外付けのフロッピーディスク・ドライブまであった周辺機器も含めればスクールバッグの容量の半分近くを取られる中、登下校していた。
家と学校以外ではインターネットに繫げることなど夢のまた夢、LANケーブルを差し込まなければどうにもならないし、バッテリーだって一時間半もたなかった。それでも持ち歩くことが多かったのは、いつでもどこでも、ホームページやブログに載せる文章を書けるようにするためだった。
まずはホームページを中二で始めたとき、私は〈のりしろ〉になった。何の考えもなくひらがな四文字で手頃な言葉を探したところから二十六年、ハンドルネームはこうして仕事をするペンネームの名字にもなっている。と、少し前まではそんな由来に希少性を感じていたけれど、ネットと現実の活動がシームレスになった今日ではまったく珍しいことでもない。
その頃の私がやっていた活動というのは、流行していた他の日記サイトの模倣でしかなかった。背景を暗くして文字を馬鹿デカくしたり山ほど改行したりという常套手段は全部マネした。あと、爆笑問題(というか太田光)の漫才形式コラムの出来損ないみたいなものも書いていた。自分でも二度と読みたくないくらいの代物だが、幸い、サービスが終了して影も形も残っていない。あの頃、文章はデータにすれば、データはウェブ上に残せば、より末永く残すことができるという言説が幅を利かせていたが、テクノロジーが発展すればするほど真実は逆であるという証拠が積み上がっていくばかりだ。
私のホームページは鳴かず飛ばずというわけでもなく、設置した「アクセスカウンター」によれば一日百人くらいの「ユニークアクセス」があり、「BBS」にもそこそこの書き込みがあった。わざわざ見に行かなければ書き込まれているかどうかもわからないから、中学生の頃は更新した翌朝に見に行くのが楽しみだった。でも、書き込みをされたら自分も相手のサイトに書き込みをしに行くとか、相手からリンクを張られたらお返しにリンクを張って「相互リンク」にするとか、その際には誰かに作ってもらった「バナー」を使うとか、暗黙の了解と律儀なやりとりが面倒になり、やらなくなったら人がじわじわ減っていった。
高校生になり、ネットお笑いを覗くようになった。ネット上で集まって大喜利とかをしている界隈である。その中の一握りの人達の発想に裏切られ、あるあるに納得し、笑わされるうち、世の中には面白い人たちがいるのだと思えるようになった。興味があるので交流もした。当時はハンドルネームしか知らない人たちを赤の他人だと思っていたが、現在の真っ赤な他人と一瞬で繫がってしまうネット空間からすれば、むしろ同じ趣味を持つ知り合いだけの閉鎖的な場と言えた。それでも、高校生の私にとってそこは広い世界の象徴で、比べると学校は余りにも狭かった。この中で何かが優れ、一番だ二番だ真ん中より上だと胸をなで下ろしたところで、何の意味もないのかもしれない。勉強やスポーツならそんなことはすぐにわかるけれど、面白さみたいなものまでそうであるなら、きっと全てがそうなのだろう。
べつに大喜利は得意ではなかったから、自分が自信を持てることで何かを成さねばならないという危機感を覚えた。自分に何かあるとすれば、ものを書くことだ。とにかく書いて書いて書きまくろう。というわけで私は、部活も入らず予備校にも行かず、高校時代のほぼ全てをブログの更新に捧げた。その頃に普及し始めたブログはホームページよりずっと楽に投稿できたから、パソコンはもちろん携帯電話のメモ、手書きもしながら、短いコントみたいな創作を上げ続けた。授業中もノートの隅に書いたし、学校に遅刻しようとも朝の駅の喫茶店で書いたし、文化祭を抜けてファミレスで書いた。
その生活は大学に入ってからも続いた。いつからか、記事にコメントがついた瞬間に通知のメールが届く機能がついた。今思えばこのリアルタイムの通知によって、ネット上に見える人格の向こうには自分と同じ人間が同じ時間を勝手に生きているという現実を思い知らされた気がする。それは相手と同じ時間を共有するチャットなんかとは異なり、妙な虚しさを伴うものだった。なぜならコメント投稿の瞬間というのは、その人が私に声をかける瞬間であると同時に、私の元を去っていく瞬間でもあったから。
以降、ネット上のコミュニケーションはこの方面——リアルタイム性と双方向性において長足の進歩を遂げるが、それを不気味に思っていたのか、一人で書くことに意地になっていただけか、もともとの性格か、私は誰かの反応や誰かとの交流にはぜんぜん興味がなくなってしまった。幸か不幸か、乗り遅れたというわけだ。
いや、ブログは一応世界中に開かれていたのだし、乗り合わせてはいたのだろう。その後、私は『十七八より』という作品で小説家としてデビューし、その中で、ある種の孤独について、「修学旅行のバスの窓際でカーテンにくるまって流れる景色を見ながら味わえる」ものだと書いた。それが、ゼロ年代のネットの片隅で一人書き続けている時の気分だった。私を支える気分だった。
暗く小さな穴に水を注ぎ続けるような日々は、満たされるわけではないにしても、ひょっこり何か浮き上がってくるのではないかという望みくらいは持てていた。それは小説家になれるかもとかそういうことではなく、書く上での手応えとか確信とかの話だ。結局、何も浮き上がってはこなかったけれど、二十年近く続けたことで、自分の中にある汲めども尽きない水脈を信じることはできた。
私が今この時代に十代二十代を過ごすとして、あの頃と同じことができるかと言ったら自信はない。ネット上のサービスを淡々と利用することは可能でも、網の目の単位が個人にまで極まっては、何かに背を向けること自体が難しい。畢竟、人間に社会に向き合うことになるが、そんな状況では、あのくだらない、ちっぽけな意地や矜恃を匿っておくような気分を保つことはできないだろう。

(了)


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